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宗祖としての親鸞聖人に遇う 教区報『遇我遇仏』創刊号
九州大谷短期大学名誉教授 宮城顗
私たちがこの人生を人間として生きてゆこうとするとき、問われることは、「何を依りどころに生きてゆくのか」、「なぜそれに依って生きてゆくのか」、「どのようにそれに依って生きてゆくのか」ということだと教えられました。そのことを、曇鸞大師は「何所依(どこによるのか)、何故依(なぜそれによるのか)、云何依(どのようにそれによるのか)」という言葉をもって教えてくださっています。
ふりかえって思いますと、今日私たちは、この三つの「依」が明確にならないままに、というよりは、そんなことを問うこともないままに、その時、その場の力関係や気分に身をまかせて、右に左にウロウロしているありさまです。それは、国の政治の在り方から、個人の身の処しかたにいたるまで変わらないように思えます。
そして、そのことから申しますと、私にとって宗祖とは、この三つの「依」を問いつづけ、その生涯をもって明らかに示してくださった方であります。
その親鸞聖人は、法然上人のご生涯、その歩みを通して、「雑行を棄てて本願に帰す」と深い歓びをもって明記されています。そして、そこに依って、さらになぜそういえるのか、どのように依ってゆくべきか、ということを、七祖の伝統を遡って問いつづけてゆかれています。
とくにその「どのように」ということは、単に実践の方法が尋ねられているだけではなく、より深く、よりきびしく、「どのような心をもって歩むのか」がきびしく問いつづけてゆかれています。つまり、宗教心そのものを問うておられるのです。
まさに、真に問わなければならないことは、なにを信じているのかではなく、どういう心で生きているのか、ということなのです。今日、宗教戦争症候群などという言葉を、新聞や雑誌で目にしなければならないという現実があります。
そこには、互いに、自分たちの信じている神、宗教をこそ絶対化し、固執するということ、さらには、この神、宗教を信じないものを否定し、抹殺することがそのまま、自分の神に義とせられるという思いこみがあります。そこでは、自らの信心・正義を問いかえすことなく、その信心・正義のためには人の命を奪いとることをも辞さない頑なさが満ちています。
それに対し、親鸞聖人は、善導大師の指南をとおして、自らの宗教心の在りようを問いつづけていかれました。その宗教心を、親鸞聖人は真実心・清淨心・柔軟心として聞思され、いかに自らに真実心・清淨心・柔軟心が失われているかを、深く悲嘆され、その悲しみにおいていよいよ本願の言葉を聞き直し、聞き直ししてゆかれています。そこには、真か偽か、善か悪かを問うその心が、我執に濁らされてはいないか、一つの観念に縛られた頑なさに侵されてはいないか、と問う心がつらぬかれていることを思います。
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宗祖としての親鸞聖人に遇う 教区報『遇我遇仏』2号
中津組觀定寺住職/九州大谷短期大学教授 大江憲成
その昔、初めて東本願寺の御影堂にお参りしたときのことでした。想像を超えた大きなお堂の奧、中央に、親鸞聖人のお木像がご安置されていました。驚いたことには、お木像の親鸞聖人が、お参りしている私に向かって手を合わせるかのように対座されていました。
私は聖人に手を合わされるような値うちのある人間ではないのに何故なのだろうと思い、そのことを父に尋ねてみると「そりゃお前、ご開山はお前に向かって、お念仏に出会って下さいと願ってくださっとるんじゃ」と答えてくれました。忘れられない言葉です。
願ってくださっている親鸞聖人・・・・・。
七百年も前になくなった方が現在もなおこの私を願ってくださっていた。しかも見も知らずの私に対してなのです。私にだけではありません。多くの方々に対して願ってくださっていたのです。このことは私にとって大変不思議なことでした。
その時の私は、願いに出遇うとはどういうことなのか、解っていなかったのです。
しかし、諸先生に導かれつつ聖人のお言葉に触れてまいりますと、聖人が生きられた「仏様のお心」(願心)に出遇うとは一体どういうことなのか、教えられてまいりました。
「如来の智慧海は、深広にして涯底なし。
二乗の測るところにあらず。
唯仏のみ独り明らかに了りたまえり」
(『大無量寿経』・真宗聖典五〇頁)
阿弥陀様の智慧であり願いの世界は海のように深く広く、行き止まりや底は無い。師のことばを鵜呑みにしてそのことばに居座ってしまったり(声聞乗)、師に出会おうともせずに自分の思いこみの宗教観にまどろむありかた(縁覚乗)、これは、人が道を求め学ぶときに気づかずして行き詰まる閉ざされたあり方で、「二乗」とも小乗ともといわれますが、このあり方では阿弥陀様の智慧の世界、願いの世界の深さ、広さを測ることは出来ない。ただそのことに気づく者、「仏」のみが明らかに覚ることができる、というのです。
どういうことなのでしょう。海の深さは、いかに測っても海底にとどかないと知らされるときに、その深さにうなずくことが出来るように、仏様の願心の深さや広さは、いかに人知を尽くしても至りとどかないと知らされるとき、その限りなさに頭が下がります。
限りない願心に出遇うとは私の学びの狭さに気づかされることと別ではありません。
つまり私たちをして、自分の居座りやまどろみの愚かさに気づかさせ、いよいよ出会っていく学びに立たせて下さるのが願心の世界であります。
その願心に出会い、その願心に呼び覚まされながら生き、その願心を現在もなお私たちに語りかけてやまない方が「仏」であり「宗祖」なのです。
宗祖親鸞聖人は七五〇年前に亡くなられた過去の方ですが、私たちがいよいよ出遇っていく未来の方です。願心として未来から現在に呼びかけておられる方、「今ここに当来している方」なのです。私はさらにその方の呼びかけに出遇っていきたいと思います。人生に「涯底」という答えはありません。ただ尋ねていく世界の確かさを喜びたいと思います。
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宗祖としての親鸞聖人に遇う 教区報『遇我遇仏』3号
九州大谷短期大学 学長 古田和弘
この国では、親鸞聖人ほど、多くの人びとに敬愛されている仏教者はおられないのではないでしょうか。ひところ「親鸞ブーム」という言葉をしばしば耳にすることがありましたが、それは、親鸞聖人に対する関心の高さを物語っていると思うのです。
親鸞聖人についての関心の持ち方はさまざまだと思います。どのような関心でもよいのでしょうが、一つ確かめておかなければならないことがあると思います。それは親鸞聖人が「宗祖」であるということです。
たとえば、文化人とか教養人とかいわれる人びとの間に、聖人に対する敬愛の心情が根強くみられます。これらの人びとは、まれに見る重厚な思索によって、深いところで人間を凝視された親鸞聖人の人間像を敬っておられるのであろうと思います。この場合、多くは『歎異抄』を通して親鸞聖人に触れておられるのだと思います。
『歎異抄』に伝えられている聖人のお言葉には、確かに、人びとの内奥に響く魅力があると思います。ですから、親鸞聖人について書かれた書物もたくさん出版され、愛読もされてきました。そのこと自体には特に問題があるわけではありません。
しかし、はっきりさせておかなければならないことは、このようにして敬愛されている親鸞聖人は、「宗祖」なのかどうかということです。自戒を込めてあえて厳しい言い方をするならば、それは、知的関心の対象であったり、ある種の感性が向けられる対象であったりするのではないかということです。
「宗祖」というのは、一宗を開かれた祖師というだけではありますまい。もちろんそれもあるでしょうが、何よりも、後の世の私のような者のために、まこと(真)のみむね(宗)をいただくよう願ってくださっているお方なのです。「まことのみむね」とは、仏教の肝心かなめということで、それが「お念仏」による私の生活だと教えておられるのが「宗祖としての親鸞聖人」なのです。
親鸞聖人は、ご自身のことについて、「雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』「後序」)と、歓喜に満ちたお言葉を残しておられます。その親鸞聖人は、私たちに厳しいけれども暖かい願いの眼差しを向けてくださっているのです。「畢竟依を帰命せよ」(『和讃』)と詠われて、私たちが生きるための最後(畢)の最後(竟)の依りどころを明らかにするよう願っておられるのです。そして「念仏のみぞまことにておわします」(『歎異抄』)と教えておられます。また「如来の弘誓願を聞信する」(『正信偈』)ことの大切さ、ありがたさを教えておられます。
知性や感性は乏しいだろうけれども、親鸞聖人が呼びかけてくださっているお言葉を実直に受け止め、願ってくださっているお心に素直に従って、聖人のようにお念仏を喜べるような身になりたいと、そのことを御遠忌も目前にして自らに確かめること、それが「宗祖としての親鸞聖人」にお遇いすることであると思うのです。
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宗祖としての親鸞聖人に遇う 教区報『遇我遇仏』4号
大谷大学教授 延塚 知道
私は長い間仏教が分からなかったために僧侶になるのがいやで、親鸞聖人に反抗し、どこまでもどこまでも仏教から逃げて回りました。そんな私をどこまでもどこまでも追いかけ続けて下さった方、それが宗祖です。仏教が分からなかった私は、情けないもので自分の中をどれだけ探しても、世間の価値しか持ち合わせがなかったのです。それに振り回され劣等感にさいなまれて、自分で自分を捨ててしまいたいときでも、黙って私を捨てないで見守り続けて下さった方、それが宗祖です。もう駄目だこんな人生とても生きていけないと放り出した時、そこで以前からずっとずっと待ち続けてくれていた方、それが宗祖親鸞聖人です。
私が生まれたのは、英彦山の谷間にあった消防ポンプの倉庫でした。そこが父親の仏道の場所でした。農家の次男の父が大谷派の僧侶になったのですから、寺も御門徒もなかったからです。戦後すぐのことですからみんな貧しく、もちろん私の家は今日の米さえない有様でした。それを村の人たちが、自分の家に食べるものがないのに、私たちを育てて下さいました。質朴で人情に厚く、貧しかったけれどみんな輝くような念仏者ばかりでした。大きくなったら親鸞聖人のようなお坊さんになれと言って、私を育てて下さったおじいちゃんやおばあちゃんの優しさは、頂いた食べ物と一つになって私の身体の中にしみ込んでいます。今から想えば、如来の大悲が人情にまで成って私たちを育てて下さったのだと思います。
でも青春期に人生を自分の足で歩き始めようとした時、私には世間の物差ししか持ち合わせがありませんでした。貧しいより豊かな方がいい、能力がないよりあった方がいい、消防ポンプの倉庫よりもっと大きな家がいいと、正直にそう思いました。仏教が分からないということは、そう思うだけならまだいいのですが、恐ろしいことにそれが絶対だと勘違いするのです。だから行き着くところは決まっています。自分の命を捨てても、思いを通そうとしたのです。
先生はそんな私に、「延塚さん、良いところも悪いところも丸ごとあなた自身じゃないですか。自分自身を丸ごと愛せなければ、どうして周りの人を大切にできますか。」と優しく諭して下さいました。劣等感の固まりで自分さえ捨ててしまいたかった私には、私のようなものでも丸ごと受けとめてくれる世界があるのかと、その言葉だけでも全身が震えるほど嬉しかったのです。
想えば長く自分の思いの世界だけで夢を見続けてきたことか。確かなのは自分だけ、いつもそこから人生を考え、いつもそこから周りを考え、世界を考えてきた。それは全て根拠のないことであり妄想である。事実に帰れ、無量寿に生きよと、そんな私の愚かさを永遠の昔から見破って、法の世界から南無阿弥陀仏と名告った下さっていたのです。親鸞聖人は南無阿弥陀仏となって今も現に生きておられます。私の小さな命の殻を破って、浄土からの無量寿を生きるものになろうと呼びかけて続けて下さっている方、それが私にとっての宗祖親鸞聖人です。
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「あなたと出あいたい、今、共に」
―750年後の親鸞を語り合おう― 教区報『遇我遇仏』5号
京都組 念信寺 住職 村上 匡一
《あなたと出あいたい》― まず、このことばに耳を傾けたい。そこに何が聞こえてくるだろうか。
ある時、切迫した金銭的いさかいの中で「いままでわたしは誰にも愛されなかった。愛が欲しい」と、突然叫ぶのを聞いた。今でも不思議な感覚を覚えるのだが、それは確かなこと、当人の真実(ほんとう)の声だったのだろうか。ずっと心に残っている。
物質的に満たされたはずの社会で、どこかに満たされない思いを抱いていて、その空虚さを何で埋めたらよいのか、わからなくて、外側のモノで埋めようとしている。一方、わたし自身は確かなもの、一生をかけて悔いのないものに出あっているだろうか。真に語り合える友を得ているだろうか。
現代の日本では、個人の人権を重んじるということになっている。しかし、それがどれほど形式的で内容のないものであるか。エゴイズムも人権で、内実が吟味されることなく、法律や表面のみの社会的善悪の範疇で、平板化され処理されてしまう。
人間的な出来事が、社会の中ではモノとなる。出来事が事件としてメディアで報道され、話題として消費されてしまう。一連の司法の手続きも権力構造をもっていて、たいへん形式的だ。多くの事件や犯罪を他人事としているが、わたしたちは生きることが空洞化してしまった時代社会を今まさに生きている。しかもわざとかどうか、気づかないふりをして、きわめて個人的に生きている。
現代という時代の中で、過去のお手本が通用しなくなり、みんな手探りだ。寺院に暮らすものも例外ではない。むしろ、迷っているのに迷えないという二重の迷妄を生きている。
自分を外(ブランド、地位、名誉、財産など)に、あるいは他者に求めれば求めるほど、対立を生み、自分から遠ざかる。単純な道理である。表面では強がってみたり、信念があるかのようによそおってみたり、立派そうにしているけれど、ほんとうにそうなのだろうか。そうしたがる煩悩があるだけではないだろうか。
生きていくということは、残念ながら、対立の悲しみを味わうことだと思う。でも、ほんとうは、対立をのぞんではいないだろう。対立すればするほど、写真の陰画のように、こころは「あなたと出あいたい」という悲痛な叫びをあげている。強がりを言うのは、悲しみに満ちたこころの裏がえしなのだ。
あちこちから聞こえる悲しみの声に耳を傾けてみると、「あなたと出あいたい」「ほんとうに満ち足りたい」という願いは、どこから来るのだろうかと問うてみたくなる。
《あなたにあえてほんとうによかった。うれしくって、うれしくって、ことばにならない》。このことばが、わたしの家族、友人、さまざまなグループの党派性を超えて、無条件に語れるであろうか。それが現代のわたしたちの課題であるような気がしてならない。
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「あなたと出あいたい、今、共に」
―750年後の親鸞を語り合おう― 教区報『遇我遇仏』6号
大分組 見成寺 坊守 日野敦子
同朋新聞の九、十月号の「人間といういのちの
相
」の欄に、いじめにより自死を遂げた大河内清輝君と、その苦しみに向き合った父親の祥晴さんの記事が掲載されている。それを目にした時、私にとって「いのちと出遇う」とはどういう事なのかとの大事な指標を頂いた出来事を改めて思い出した。
それはある研修の場であったが、時代社会の諸問題でいじめ・家庭内暴力・引き篭り等が話題になった時の事、私達はそれらの不幸で悲しい出来事は、仏法に出遇う事が無かったから「いのち」が見えなかったのだとか、教えに出遇ったなら結果は変わっていたに違いない等と、自分の体験も加えながら感想を述べ合っていた。その場は「仏法」だとか「教え」だとかの言葉のみが先行して、出来事の中で死に追いつめられていった人々の悲しみや苦しみはどんどん置き去りにされていった。
そんな私達に先生は「亡くなった人達に向かうことを抜きにしては、真実は見えてきません」と。地に足の着かない、まるで真宗マニュアルとでも言う様な論議をしていた私達にとって、その一言は衝撃だった。
思えば、同朋会運動発足以来、数多くの学習会が開かれ、まるで競い合うかのごとくに参加してきたが、その聴聞の内容は私自身吟味されていただろうか。ただ学習の場に身を運んだという事で仏法に触れ、解った事として錯覚していたのではなかったか。その結果、他に目を閉ざした狭い自己中心的な関心の中で、こじんまりと自己完結してしまう。そんな私に向かって先生は、「念仏申さねばならない身を生きながら、心底から人間に生まれたという事を課題にした事がありますか」と問いかけられた。そして「人としての悲しみを取り戻させ、念仏申させて救わん」との如来の本願であるとお伝え下さった。
人と人との深い出遇いは、悲しみの共有から始まる。今、人間の深奥なる願いは混迷を極める世だからこそ、いのちの響き合う出遇いを求めあっているに違いない。教区テーマでは「七百五十年後の親鸞を語り合おう」とあり、本山御遠忌では基本理念として「宗祖としての親鸞聖人に遇う」と掲げられている。「全ての人々と共に救われん」と民衆と共に生きた宗祖の願いは、時空を越えて私に届いているはず。その親鸞聖人の願いに呼応できる信心を頂くには、この世を生きて苦しみ悲しんだ人々の語りかけを、私自身がどう頂く事ができるのか。祥晴さんの言葉を借りれば、「自分自身の肌身で感じるものが心の中に届いたからこそ、いのちが見えてくる」と。時代社会の様々の苦しみ悲しみに向かって、初めて共に生きんとの願いを具現していく歩みを賜るのであろう。そして、狭い私の世界を越えて、広く豊かな出遇いも又、同時に賜るに違いない。
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「あなたと出あいたい、今、共に」
―750年後の親鸞を語り合おう― 教区報『遇我遇仏』7号
田川組 正応寺 住職 津垣慶哉
「宗祖」とは何か?
本山から提起されたこの問いかけを語り合っていくなかで生まれてきたのが冒頭の教区教化テーマではないかと思います。
以下は僕の所感です。
わが宗門の中でしばしば「親鸞に還ろう」ということが言われます。七百数十年の時空を遡って親鸞に直参するという考え方には何かしらの異和感を覚えます。それが「750年前」ではなく「750年後」と表す所以でしょう。ここには僕たちが過去の親鸞に「還る」のではなく、「親鸞、言葉となってここに来たれり」という強いメッセージがあります。
「一人いて喜ばば二人と思うべし、二人いて喜ばば三人と思うべし、その一人は親鸞なり。我なくも法は尽きまじ和歌の浦、あおくさ人のあらんかぎりは」
長い歴史の中で青草びとと呼ばれる親鸞を慕い、本願の教えを敬う人々が伝承してきたというこの言葉を僕たちは知っています。ここにも親鸞を「宗祖」と仰ぎ、念仏の中で生まれ、苦悩し、そして念仏の中で安んじて死んでいった人々の歴史を思います。また「その一人は親鸞なり」の言葉にはわれ一人に開かれてくる信心の公性が語られているのではないでしょうか。
かつて曽我量深師は「南無阿弥陀仏」について、「阿弥陀仏は単なる孤独的観念の四字名号でなく、それは南無を具足し、また南無に具足せる阿弥陀仏である」と述べておられます。念仏申す人のところに阿弥陀仏は来たる、阿弥陀仏の本願の声が聞き届けられるところに念仏の行者がまた一人誕生する、そういう意味合いをもって、このテーマを受け止めたいと思います。
今僕たちが南無阿弥陀仏を生きんとする時そこに「あなた」(我-汝)としての二人称の公なる出会いが開かれてくる、または思いがけずもその仲間に恵まれる。それを浄土真宗の僧伽(サンガ)と名づけていいのではないでしょうか。
人と人との深い出遇いは、悲しみの共有から始まる。今、人間の深奥なる願いは混迷を極める世だからこそ、いのちの響き合う出遇いを求めあっているに違いない。教区テーマでは「七百五十年後の親鸞を語り合おう」とあり、本山御遠忌では基本理念として「宗祖としての親鸞聖人に遇う」と掲げられている。「全ての人々と共に救われん」と民衆と共に生きた宗祖の願いは、時空を越えて私に届いているはず。その親鸞聖人の願いに呼応できる信心を頂くには、この世を生きて苦しみ悲しんだ人々の語りかけを、私自身がどう頂く事ができるのか。祥晴さんの言葉を借りれば、「自分自身の肌身で感じるものが心の中に届いたからこそ、いのちが見えてくる」と。時代社会の様々の苦しみ悲しみに向かって、初めて共に生きんとの願いを具現していく歩みを賜るのであろう。そして、狭い私の世界を越えて、広く豊かな出遇いも又、同時に賜るに違い
ない。
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「あなたと出あいたい、今、共に」
―750年後の親鸞を語り合おう― 教区報『遇我遇仏』8号
築上組 西教寺住職 小袋雅文
一昨年、長男の得度式で家族で上山した時の事でした。御影堂御修復の為、阿弥陀堂に安置されている親鸞聖人の御影をくい入る様に覗き込んでいた8歳になる娘が「親鸞さんの顔、ようわからん。真っ黒やねー、黒人じゃないよね?」と聞いていました。私は思わず吹き出しそうになったのを堪えて「あれはね、木像だから長い年月が経って黒くなったんだよ」と答えたことがありました。
しかし今回(4月)、組での奉仕団上山の時、お聞かせいただいた言葉で、その時の私の答えがいかに軽いものであったか知らされ、叱責された思いでした。
「なぜ御影はあんなに黒いのですか?とよく聞かれます。その時は真っ黒になるまで働いて下さっているんです。それほどご苦労されているんですよとお答えします」と。
大慈救世聖徳皇
父のごとくにおわします
大悲救世観世音
母のごとくにおわします 『正像末和讃』
わたしゃ忘れても
忘れぬ親がおるゆえに
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ 浅原才市
立撮即行のお心でここにおいで下さった。
私がここに会いに来ようが来まいが関係なしに、750年前の昔より私の為に働き続けて下さっている方がおられる。願い続けて下さった親鸞様がおられる。
「ご苦労おかけ致します」
「あなたと出あいたい、今、共に」・・・聖人からのお呼びかけのように、私には聞こえます。
「方向性」という言葉を最近よく耳にします。「日本はどこへ向かうのか」「私はどこへ向かうのか」現代社会を生きる私達は様々な諸問題を抱えながらも、その問題のもつ意味さえ見えにくく、覆い隠されてしまっているように思えてなりません。
「どう選択し、どう歩み出せばよいのか」
御遠忌はお迎えするものであり、また「真をよりどころとしてすすめ」と呼びかけ続けて下さっている声に、私の方から応え出迎えることでもあると思います。
「帰る所」
帰る所があるので
待っていてくださるので
安心して
遊んでいられる 浅田昌作
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「宗祖と現代」
教区報『遇我遇仏』9号
大分組 見成寺住職 日野詢城
「同朋会運動は純粋な信仰運動である」という言葉は、この運動を貫く原点の言葉として受け伝えられてきました45年前、御遠忌直後に出された同朋会運動は既成教団の革命児として一世を風靡したと言えます。
同時に使われていた言葉は「お寺を強くする運動ではない」という言葉でした。純粋な信仰運動として求められるのは、「自己とは何ぞや」と言う問いに代表される己を問うという課題で、徹底した自己批判が求められました。“機ぜめ”とも呼ばれたそのやりとりは初期の運動ではあらゆる場で展開され、夜を徹して議論がなされ、絶望の淵に立たない限り真宗の教えは解らないとされてきました。創価学会の“折伏”に屈することのない信念が求められ、それを逆に折伏するほどの教学(ある種の理論武装とも呼べるもの)が求められていたのだと言えます。
“純粋な信仰運動”という位置付けが間違っていたのではないのでしょうが、今にして思えば、いくつかの誤謬が生じてきたといえます。
一つは、訓覇元宗務総長の差別発言として知られることになった「(靖国や同和問題を)やっている暇がない」と言う問題です。自己の内面を深く問い詰めようとするとき、そのこと一つが突破できない自己への問いが、内へ内へと向かうため、世俗のただ中にある自身を見失い、社会と自己との乖離を生じ、靖国や同和問題をやっている暇はないということになってしまったことです。純粋な信仰という言葉の中に世俗との乖離を孕み、在家の仏教ということを見失わせる危険性を孕んでいたと言えます。
もう一つは“寺院教団としての大谷派”という側面をどこかで避けていたことです。寺院教団ということと、純粋な信仰運動を一つの運動として考えると、多くの矛盾を孕むことになります。そこで「教団の改革」ということを言っても、宗門それ自体を信仰課題とするのでなく、組織の近代化に止めるほかなかったのかと思います。結果だけを評価すれば、組織の近代化ということの中で、完全なまでに教団の世俗化が起きてしまったのです。
私たちは今、宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌を目前に控え、「あなたと出あいたい、今、共に」というテーマを掲げています。近代という人類史上最大の進歩を遂げた文化が、そのまま地球規模の危機を生み出してしまったことへの問いを“聖人と語り合おう”としているのだと思います。人間の欲望に歯止めを失った今、人知に無限の幻想を抱く今、群がりの中に生きることを見失った今、50年後の教団を見据え“無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり”と立ち上がる時を迎えているのだと思います。
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「宗祖と現代」
教区報『遇我遇仏』10号
佐藤第二病院長 田畑正久
フランスの哲学者、ボーボワールは「老い」という本の中で「人生の最後の15~20年間、人間が一個の廃品でしかないという事実は我々の文明が挫折したことの証明だ」と書いているそうです。私が働く高齢者の医療・福祉の現場で聞こえて来るのは、「役に立たない」、「迷惑をかける」、「生きている意味がない」、「歳をとって何もいいことがない」という声であります。まさに自分は「廃品」であると表明しているかの如くであります。仏教の智慧のない、理知分別で十分という発想の挫折を示唆していないだろうか。
病気の進行の不安を訴える高齢者に仏教の勉強をしませんかと勧めると「わしには まだはやい」と言い、さらに「浄土なんて信じられません」と言われる。しかし、表白される内容は老・病・死による不安の内容です。理性知性でしっかり考えて、分かるもの、良しと判断できるものを積み重ねて人生を生きて来られたのでしょう。その思考の延長線上には輝く「しあわせ」が実現するはずであったのに、迫り来る、老・病・死の現実が受け取れないのです。愚痴をいいながら諦めるしかないと言われるその顔は決して「明るく穏やかな顔」とはいえません。宇佐市出身の信國淳先生の「歳をとるということは楽しいことですね、今まで見えなかった世界が見えるようになるんですよ」という世界とは全く逆の世界が展開してきているのです。
仏教なしで生きていける、しあわせになれると豪語していた多くの現代人は、その延長線上で自分の思い、考えで自分を傷つけることになっているのです。ボーボワールの指摘は宗教なしでしあわせになれるという多くの現代日本人の思考の挫折を言い当てているのではないでしょうか。
その挫折が元気な高齢者にはキレやすく凶暴な老人として表出される傾向があるともいわれています。こうしたキレやすい最近の老人を「新」老人と呼ばれているそうです。その背景には、携帯の普及などで加速化する時間、独居の増加などで関係性を失い孤立化する空間、そしてマニュアル化された笑顔など商品化される感情の不自然さ等々の変化する時代状況があります。それは人間が加齢と共に本来ならば培われるべき感性、人格の成熟する歩みが社会から見失われているが為の現象ではないかと思われるのです。人間としての成熟、すなわち智慧をいただく歩みではなく、若さを誇る未熟さ、新しい知識をよりどころとし、その知識を増やす生き方を良しとした現代人の理知分別の生き様が、その後の展開の中で、よりどころとしていた知識、新しい知識に追いつけなくなる現実、分別での尺度が自分を苦しめるものになって、人間性をも疎外するものになろうとしているのではないでしょうか。仏の智慧のお育てを受けて、多くの因や縁(無量寿とも言える)によって私が生かされている、支えられている関係性を感得する成熟した人間になる歩み、仏の心にふれる歩みが大事であることを認識させる時代性を思うことであります。
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「宗祖と現代」
教区報『遇我遇仏』11号
日田組浄満寺住職 渡邉眞理
養老孟司氏は、「現代社会」を人間の大脳がつくり出した「脳化社会」と位置づけている。脳が発達した結果、人間は住みやすい世界、つまり大都市を作り上げた。 そして、自然を含めたすべてをコントロールできると過信し、自らの意のままにならないモノをどんどん排除してしまうというのである。
確かに、人間はすべてが思い通りになれば幸せになるだろう、こうなれば豊かになるだろうと思って、一生懸命やってきた。好きな時に好きなものを好きなだけ手に入れられる。嫌な時に嫌なものをできるだけ遠ざけることができる。教育にしても、経済にしても、環境にしても、食事にしても・・・。どれも自らを不幸にしよう、人間を駄目にしようと思ってやってきたことは一つもないだろう。
けれども現実はどうだろうか。「教育崩壊」「経済崩壊」「環境破壊」「食の崩壊」。嘘、偽りで取り繕えていたうちは、まだまだマシなほうだったかもしれない。壊れ、溶け、もはや原形が保てなくなってきている時代へと遂にきてしまったのではないだろうか。すべてが自分の思い通りになるということは絶対にない、というのが現実と言えるだろう。実感として人間が人間であるとは言いがたいようになってきている。だからこそ私達は悩み、悲しみ、苦しまざるを得ないのではないだろうか。
そもそも「この世は苦である。これは真理である」。これがお釈迦さまの出発点であった。宗祖親鸞聖人もまた同じように「如来の遺弟悲泣せよ」と現に生きている時代と、自身を嘆き悲しみつつも、そこを出発点として讃嘆、歓喜の仏道(人生)を明らかにされた。「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」という使命と願いを担って宗祖親鸞聖人は歩み続けられたのである。
今、私達の教区では宗祖親鸞聖人の七五〇回御遠忌を控え、「あなたと出あいたい、今、共に-750年後の親鸞を語り合おう-」というテーマを掲げている。この度のお持ち受け法要は、組門徒会員、同朋の会推進員、婦人会員の方々を中心とした法要であり、帰敬式、『教行信証』(坂東本)贈呈、総序の文の拝読、組門徒会員・推進員代表のアピール等と新しい試みがなされる。また、教化活動としては「同朋唱和推進事業」「ご縁のある人にご本尊を」が取り上げられている。これらのことは本来真宗門徒の歩みであるが、それ自体が出来なくなってきた、形骸化してきた現実を如実に証明しているのではないだろうか。私達はこの危機意識と悲しみを持ちつつ、「今、共に」と呼びかける親鸞聖人の願いを受け止めていきたいものである。
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「宗祖と現代」
教区報『遇我遇仏』12号
別府組淨願寺前住職 三那三秀亮
先日、地元の新聞で『自死という生き方』と題した本の書評に目が止まりました。
本の著者は65歳の春、ある神社の裏山で
縊死
。自死が失敗しないため頸動脈を自ら斬り裂いていたとか。この人は生前、社会思想の研究に携わり、自死を自分の哲学的事業だと位置づけておられたようです。
そういう方であったのですが、私はこの人の死について語る言葉を持っていません。
一つ気がかりなのは、この本の書名にひかれてか、本の宣伝フレーズにつられてか、発売二ヶ月足らずで三刷を重ね、それ相応の人々に興味・関心を呼んでいるということです。
どういう問題があってのことでしょうか。
場面は変わりますが、この頃十数名の者が田畑正久先生を中心に、毎月一回『大無量寿経』の聞法会を始めました。『平野修選集』第一巻・大経講義に導かれながらゼミナール形式で進めています。
例えば私共、日常的に聞法とか仏法聴聞とか「聞く」ということが大きな位置を持っています。なぜかというと、平野先生はこう応答されます。
「我々は知らないからです。浄土といおうと、阿弥陀仏といおうと、私たちは知らないから聞く以外にないのです。けれども聞いて、単なる理解にとどまるなら、それは仏法ではありません。聞いてさとるということがなければ、仏法ではありません。その「聞いてさとる」ということが「信」ということです。知らないものが聞いてわかったという、そのわかり方は、「如来のさとりがいただけた」という、そういうわかり方です。それを「信」というのです」と。
平野先生のこの了解は、宗祖聖人が『教行信証』(信巻)で『華厳経』を引かれて「信は道の元とす」「信はよく歓喜して仏法に入る」「信はよく如来地に到る」とお示しになっていることに基いたものかと思います。
最初に出しました『自死という生き方』のところに戻ります。仏教には「生死」の問題をどう受け取ればいいのかという問いがあります。
中村元先生という碩学の方がおられて、その方がサンスクリット原典から『大無量寿経』下巻冒頭の十一願成就文を訳されています。釈尊がお弟子のアーナンダに、
「実にまた、アーナンダよ。かの仏国土にすでに生まれ、現在生まれ、未来に生まれるであろう生ける人たちは、すべて永遠の平安(ニルバーナ)に至るまで<正しい状態>でいる者(必ず解脱の理想を達成する者)であると決定しているのだ。・・・こういうわけで、アーナンダよ、かの世界(浄土)は略して<幸あるところ>と言われる」と。(以上訳文)
この訳文のままではわかりにくいかもしれません。平たくはこう言えないでしょうか。
「この世に生まれた者は、過去・現在・未来のどのような時代であっても、浄土という「幸あるところ」に生まれるならば、この世のいのち尽きてもなお「涅槃」(ニルバーナ)という永遠の平安世界に帰っていくことになるのだ」と。私共の「生死」をどう受け取るかということについては、この知見で充分でないかと思います。
このように仏典が伝える<幸あるところ>や「涅槃(ニルバーナ)」という世界から見ますと、『自死という生き方』は、私共現代人の無明の闇に紛れ込んだ妄念・妄想ではないかと、そんな思いがしてきます。
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「宗祖と現代」
教区報『遇我遇仏』13号
耶馬渓組明圓寺住職 長野 淳雄
昨年、ある組の同朋大会で「あなたにとって大事なものは何ですか」というテーマをいただき、そのことを十四・五人の方々に尋ねた。低年齢の人は、親・友だち。中年の人は、仕事・家庭。高齢者になると健康が圧倒的で、大事なものが年齢によって異なる。病気、体が衰えると健康が一番になる。皆自分のことしかないのに、そんな中である老婆は「念仏と平和が一番大事」と言う。九十六歳の老婆は、夫と息子を戦争で亡くし、今は一人暮らしをしている。人は出会った出来事によって大事なものが決まる。しかし、その大事なものも目の前の状況に流され、過去も未来も見えなくなる。まさに「遠く観ることあたわず」。老婆の言葉は、あの悲惨な戦争から目を逸らさず問い続けた言葉であった。
日本は、色々の危機はあったが戦争をせずに来た。その基礎に平和憲法、第九条があった。九条の起こりも歴史も確認されずに、近年心ない人は、他国と対等に、国力を上げるためにとか、先進国のプライドを守るためには九条が邪魔であるという。
逆であろう。九条のお陰で他国と対等であり、先進国といえるのである。平和憲法がある日本だから信頼があり対等の関係が保てるのである。少し長くなるが先達の言葉を引用させてもらう。
「平和のために軍備が要る、というようなことの簡単な誤謬に気づかないものを、愚者という。平和とは武装を捨てるということだ。この一年生の認識から出発し直さなければならぬのが、原子爆弾を懸命に製作している連中だ。(原子爆弾製造に協力している科学者は、知者のようであって、実は極まれる愚者なのだ)」
「簡単な真理に気づくことから、世界の平和は来る、即ち平和の女神は「空手にして来たれ」と喚んでいる。この「空手」ということが簡単な真理なのだ。簡単とはそれだ。」
「空手とは素手ということだ。何もにぎっていないばかりではなく。拳固をかためてもいない。|何も持たないところから平和が来る。・・・」(『現代語の仏教 毎田周一随想集』)一九六六年に逝った毎田周一氏の言葉は、平和の礎としての憲法九条の意義を見事に言い当てている。
六十二年前公布の平和憲法制定を喜び、二度と戦争をしない、平和な時代が来たと、両手をあげて歓迎した憲法。人は平和に慣れ、現況を当たり前にすることの怖さを具している。平常時は、大事なことを見失い、問いを失う。異常時は、問いを持って大事なことを吟味、平和こそ大事であると。
この身とこの土を批判し続ける教え、「顕浄土真実」と親鸞聖人は示された。この身と、この時代社会を照らす浄土の歩み。その浄土往生の歩みを信心と明らかにされたのであろう。
憲法九条は、根本的な平和の精神である。浄土往生の歩みの中から、如何にこの精神が尊いのか、その精神を今一度呼び戻し、記憶していくことがいる。浄土往生とは、浄土がこの身とこの土への具体的批判を展開する根本原理であろう。このことを私は、「仏の御名をきくひと」の姿といただくのである。
たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは
ながく不退にかなうなり
(浄土和讃『真宗聖典』四八一頁)
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「宗祖と現代」いろはうたと仏教
教区報『遇我遇仏』14号
中津組 大日寺住職 吉元 信行
私たちが子どもの頃、最初に覚えて、今でもはっきりと諳んじることのできる「うた」に〝いろはうた〟がある。「いろはにほへと・・・・・」云々の47文字は、一つとて同じ文字はなく、成立当時に使われていたすべてのかな文字を網羅している。私たちはこの〝うた〟を小学生の頃から自然に習い、今でもはっきりと覚えている(最近は中学でしか教えないという)。
〝いろはうた〟を記した現存最古の文書は、1079年に書写された『金光明最勝王経音義』であるから、この年代よりやや古い頃の成立であると思われる。私たちの先祖たちは、このような古い時代からこの〝うた〟に慣れ親しんできたのである。しかし、これに濁点をつけて、次のような意味のある「うた」であることを意識して諳んじている人は意外と少ないのではなかろうか。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢みじ 酔ひもせず
花が色あざやかに咲き、いい匂いを放つけれども、いずれ散ってしまうように、私たちの世界や人生で一体誰が常住であるでしょうか。[そのことに気付き]煩悩にまみれた世界(有為)の奥山を今日越えて(超越して)、浅い夢など見ないように[涅槃の世界に行きましょう]、酔ってもいないのだから。
このような解釈ができるのは、古来、〝無常偈(雪山偈)〟として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(巻一三)の意味を採ったものであるからである。すなわち、この〝無常偈〟と〝いろはうた〟の句を対応させると次のようになる。
諸行無常 色は匂へど 散りぬるを
是生滅法 我が世誰そ 常ならむ
生滅滅已 有為の奥山 今日越えて
寂滅為楽 浅き夢みじ 酔ひもせず
〝無常偈〟は、あらゆる存在・現象は無常であり、この世は移り変わるのが当然である。この移り変わりの世界を滅してしまった寂滅の境地こそが楽(涅槃)であるということを教えている。この偈は、仏教の根本思想を四句にまとめたものである。この漢文の難しい教義を日本人に親しめるやさしい「かな」によって表現したのが〝いろはうた〟であるとされる。
親鸞聖人は、恩愛にむせび輪廻にさいなまれているこの世は当然「諸行無常、是生滅法」の世界ではあるが、このことに私たちがそうは簡単に頷けない凡夫であることを悲歎され、次のように述懐して、ただひたすらに念仏することこそが、すくい(度脱=寂滅・涅槃)への道であることを示してくださっている。
恩愛はなはだたちがたく
生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ
罪障を滅し度脱せし
(高僧和讃『真宗聖典』四九〇頁)
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