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教区報『遇我遇仏』創刊号
宇佐組 勝福寺住職 藤谷知道
宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌がいよいよ近づいてきた。御影堂の屋根の修復も進み、先人のご苦労に頭の下がる思いもしているのだが、なぜだか心が今ひとつ弾まない。どこか遠い話なのだ。
世間では、学校創立何十周年というのが、よくある。学校当局や役員によって記念事業の計画が立てられ、寄附の依頼がくる。気は乗らないのだが、積極的に反対するのも大人げないかと、仕方なく人並みの寄附をする。今のところ、御遠忌に対する感じも、こんなところでなかろうか。
ところで、五十年前の七百回御遠忌は、燃えていたんだなーと、ある種の郷愁をもって思い返している。中央には、曽我、金子、安田先生がおり、地方には、加賀の三羽烏の薫陶を受けた弟子たちが、それこそきら星のようにいた。大谷専修学院では信國先生が「真実に生きよ!」と獅子吼されていた。教学研究所では、蓬茨先生を中心に青年僧侶たちが時代の問題と切り結ぼうとしていた。
本山の境内には同朋会館が建てられ、全国から上山してきた門信徒が、親鸞聖人の前で「三帰依文」を唱え、恩徳讃を謳った。「家の宗教から個の自覚の宗教へ」のスローガンのもと、お寺の本堂には高座に変わって黒板が登場した。子ども会、仏青、婦人会、壮年会、推進員…、声高に「僧伽」が叫ばれ、聞法学習ということが大谷派の代名詞になっていった。
十年あまりにわたる本山問題では、苦闘の末、大谷家を中心とする封建体質と決別し、同朋社会の顕現を使命とする教団に生まれ変わることを、社会に向かって宣言した。
振り返りみれば、七百回御遠忌を中心とした数十年の、なんと輝いていたことか。あの情熱、あの使命感は、一体どこから来たのであろう。
いくら郷愁にかられても、七百五十回御遠忌にそれが再現できるわけがない。七百回御遠忌が輝いたのには深いわけがあるだろうし、七百五十回御遠忌が遠く感じるのも、やはり深いわけがあるからであろう。そのわけは何か。途方に暮れながらも、そのことを考え続けていくことが、我々の世代が迎える七百五十回御遠忌の第一歩ではなかろうか。
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教区報『遇我遇仏』2号
田川組 正應寺住職 津垣慶哉
この度新たな体制でスタートした教区教化委員会の「調査研究室」の委員を拝命しました。はじめて立ち上げられた部署なので、受け継ぐものもありません。月一度の委員3名プラス教務所員による集まりが決められていてそこで話しあう内容が次回以降のスケジュールを決めていくことになります。これまで5回集まりをもちました。同朋会運動のどこに問題があるのか、座談会はなぜ盛り上がらないのか、儀式は何のために行われるのか、仏教と葬儀の関係は、などふだん不問に付している課題を掘り下げて議論しています。
例えば「座談会」について、「アレがイヤだから研修会に出たくない」「自分のことを語れといっても信頼関係のない所では語れない」などの門徒さんの声を集めながら、「何人くらいの集まりがいちばん話しやすいか」、「知っているもの同士とそうでない場合の進め方はどうか」、「質疑と座談の違いは何か」、「司会者の役割は」、「お講と同朋の会はどこが違うか」、「講義、座談という同じパターンの日程の組み方にはもっと工夫が考えられるのではないか」など、さまざまな角度から話しあいます。
この時は本山の教勢調査のデータからみた日豊教区における同朋の会に関する現状把握と変遷、そして他教団の座談についての資料や諸文献を傍らに委員各自の体験を交えてかなりつっこんだ話し合いができました。個人的な思いとしては、このような問題に関心のある方にはぜひこの議論に加わってほしいと思っています(ただし加わっていただくときにどのような形になるのかは今のところ決まっていませんが・・・)。
いずれにしても一部署の定期的な会議として始まったこの問題提起と議論が、いつか教区や寺院のこれからの活動を考える人たちの集いになっていくことをひそかに願っています。
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教区報『遇我遇仏』3号
大分市組 願西寺住職 江林智靜
◆昨年末、フランスで、世界初となる顔面移植手術が行われた。レシピエント第1号となったのは、飼い犬に襲われて顔面半分を失った女性、そしてドナーとなったのは脳死した女性であるという。これまでは、倫理的問題性、顔が変わる事への精神的外傷等といった問題から、その実施は見送られてきたのである。
◆ある医師はこの問題点を、次のように指摘している。「まずドナーを誰にするのか、それが一つの考慮されるべき問題点です。移植される顔面組織はまだ心臓が脈動しているドナーのものでなければなりません。従って、例えていえば、貴方は自分の妹から、酸素吸入器を外す前に、顔面を取り除くことに同意しなければならないわけです。」
◆私たち日本人にとって「ドナー」は臓器提供者を指すものであるが、先進諸国においては広く医療資源(臓器にとどまらず組織・細胞・血液など)の提供者をいう。さらに先端医療界では脳死身体の各種利用・多重利用が考えられている。
◆日本において臓器移植法が成立し9年目を迎えた現在、この法案の改正が迫られている。ねらいは、15歳未満の小児等からの臓器移植を認め、それに伴い、これまで必要条件であった提供者の意思表示の義務をはずし(ドナーカードの廃止)さらには移植以外の目的での人体の利用を認める、というものだ。
◆この法案が成立したとき、はたして、私たちの身体(死体・脳死身体を含めて)はどこに属するものなのかが改めて問われるものとなるであろう。ある国のいうように「死体は国家のもの」なのか。
◆さて、贈り物・寄進を意味する「Donation」の語源は「ドナー」であり、梵語「ダーナ」と共通の印欧語由来と思われる。ダーナは中国で「檀那」と音写され、菩薩の六波羅蜜の第一として翻訳されている「布施」のことである。「もろもろの波羅蜜を集めて積習して成ぜる」法蔵菩薩の精神に生きる私たち真宗門徒にとって、「ただ念仏」の仰せのもと「依正二報」の課題として「ドナー」をめぐる問題は忽せに出来ない事としてある。
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教区報『遇我遇仏』4号
臼杵組 万春寺住職 陶山法水
今、世間では盛んに「いのちの大切さを教えなければ」といいます。教えようとしているのは「意味もなく」人を殺したり、自ら命を絶ったりする人たちが日々報道されるのを見ては理解できないと嘆く「今は」いのちを大切に出来ている政治家や、教育者、そして私たちです。その呼びかけは一見、世間のすべての人々が対象であって例外はないように見えますし、またそうでなければ呼びかける必要もないはずです。
さて、日本では依然として死刑制度に肯定的な世論が多数を占め、政治家も自己責任という言葉で死になさいと言います。先日、ある退職前の校長先生が市内でも有数の大規模校から突然田舎の小規模校に転勤になりました。永年のご苦労に対するご褒美が、あからさまに左遷という罰に一転した瞬間です。前年、ある問題が学校に起こり、直接関わりはなくても管理職としての責任を取らされての移動です。「教育者」の世界でも問題があれば排除します。「いのちを大切に」という毒の混じった掛け声に白々しさを感じます。
また『歎異抄』には「親鸞聖人は人を殺すのも殺さないのも人間のこころの善し悪しがするのではない業縁だとおっしゃいました」とあります。簡単に人を殺したように見える人も、簡単に自らの命を絶つ人も、命を軽んじ、「いのちを私有化する悪い心」が行動を起こさせるのではありません。心がけの問題ではなく、縁が整ったからだとおっしゃいました。殺したいと思ったり、死にたいと思ったりすることはとりわけ特殊な心をもつ人の特殊な事例でしょうか。今はそう思っていなくても縁が整えば「誰でも」そういう意識になるのです。命を私有化するかしないかはこころの善し悪しとして凡夫が操作できる範疇にありませんし、「命の私有化」が凡夫の悪い心ならさまざまな事件の原因でもありません。
「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマを聞いた人に、「自分のいのちではないのだからいのちを大切にしなさい」という世間に対しての単なる啓蒙活動と受け取られないように、そういう意味ではないとまず否定して、人間は業縁存在であるということの意味を明らかにし、さらにそのことを教化するという深遠な営みが今、私たち一人一人に課せられたのです。
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教区報『遇我遇仏』5号
宇佐組 安養寺住職 林正道
▼かつて私が、「何で寺や僧侶が、あの侵略戦争に協力・加担したのか」と聞いたとき、父母は「あの時は、しようがなかったんだ。気がついたら、そういう時代になっていた」と言う。全日本宗教平和会議「懺悔の表明」(一九四七年)は、「われらはかかる凄惨なる戦争の勃発する以前に、身命を賭しても、平和護持の運動を起し、宗教の本領発揮に努むべきであった…」と
▼仏法や親鸞聖人の教えを私なりに実践しようと、失業対策事業で働く、まさに群萌ともいうべき人たちとともに、『失業と貧乏と戦争をなくそう』と30数年間たたかってきた。志半ばで労働運動から身を引き、自坊に帰って4年。「全戦没者追弔法会にあたって」(一九八七年)で古賀制二宗務総長が訴えた「日々の暮らしがそのまま、平和運動であるような念仏者の生活実践」を、どう私なりに取組むのか
▼日の丸・君が代の強制、小泉首相等の靖国神社への参拝、自衛隊の海外派兵、憲法・教育基本法改悪の動き…。警鐘を乱打して毎月出し始めた『安養寺だより』は42号に。大きな掲示板には、法語等とあわせ「9条の会」のポスターや“憲法9条を世界の憲法に!”のスローガンも。
▼今年の夏も、本当に熱かった。法務や「NPO法人 豊の国雇用・福祉事業団」の理事長の仕事をしながら、5月26日には各宗教・宗派の共同で無着成恭師の『憲法って何ん!』の講演と「宗教者9条の会・大分」の発足、6月10日には東京で「9条の会全国交流集会」、7月12日は「平和憲法を守る会・宇佐」の学習会、17日には「原水爆禁止2006年平和行進」、27日は「9条の会」耶馬溪による「仏法の心と憲法9条を語る会」、8月4〜6日は「原水爆禁止2006年世界大会・広島」や「いのちをえらびとる断食」等にも参加してきた。「気がついたら、そういう時代になっていた」と言わなくてもいいように、私なりにがんばらねば…と。
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教区報『遇我遇仏』6号
大谷保育協会日豊支部長 三那三文雄
少子化問題で揺れる現在の日本。次世代育成ということが国を挙げての取り組みとなっている。その一方で毎日メディアで報道されるのは乳幼児の虐待、学童や学生のいじめによる自殺である。そういった事件の加害者の背景に見え隠れするのは、人間としての育ちの問題である。
人間の育ちには、幼い時代に親の無条件な受容を経験する事が極めて重要であると言われている。どんなに「できない」自分であっても受け入れてくれる存在があることが、その子の情緒の安定と自信につながっていく。「自分もここに居ていいのだ。」という安心感である。そのような、いわば大地感覚の欠落が悲劇の連鎖を生み出しているような気がするのである。
保育の現場には、実にさまざまな境遇の子どもたちがいる。中には無条件の受容ということが、家庭の事情により困難な場合もある。そのような時、保育に携わる者の姿勢が問われることとなる。全員が一人のために課題を共有できる、そんなサンガとも言えるような関係性の中で子どもが見守られ、成長していくことが望まれる。親の代わりにはとてもなれないが、子どもたちの育ちにとって最適な環境を提供することがわれわれの務めであると思っている。くれぐれも自らの立場を守るために、子どもを道具にするようなことは許されないのである。
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教区報『遇我遇仏』7号
耶馬溪組 厳浄寺 村上由香思
彼女(つま)は、実に軽やかに家事をこなしている(ように見える)。わずかな時間に、洗濯物をたたみ、ご飯を仕掛け、末っ子のオムツを洗う。しかし、舅姑と同居の台所を担う彼女に秘めた努力や言外の苦悩がないはずはない。私なぞは、出された料理に文句など、極力慎むべきなのである。…が、時には不平が出てしまい、これが彼女の逆鱗に触れる。いや、本当の問題は、どこかの厚生労働大臣に同じく、言い回しの問題ではない。―人間の尊厳―、に係わる問題なのだ。まさに彼女の精神を逆なでするような、私の横柄な態度が見え隠れするとき、彼女はきっちり反応する。朝の些細な出来事の中に、彼女と私の不平等な力関係の存在と、糾されなければ気付けない愚かな身の現実を、また知らされた。教育基本法改正が決まった昨年末、「もうメチャクチャという感じだけどあきらめずに頑張ろう」というメッセージをある人から頂いた。一方政府は、次は憲法を変えて現実に合わせようと躍起だが、如何なものか。誰もがメチャクチャ愚かな人間だからこそ、「不断の努力」で人間の尊厳を獲得し続けよう、というのが憲法の精神ではないか。味噌汁を頂きながら、私と彼女との対等の関係を、紡ぎ続けることの大切さを思う。
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教区報『遇我遇仏』8号
田川組 西岸寺住職 中西忍
●5/8〜10 部落解放第27回全九州研究集会に参加して
心にひびくものを感じられないまま第2日目「宗教分科会」の時間が過ぎてしまった。理路整然と語る宗教者、素朴な質問をする被差別民衆とのかみ合わないスレ違い。何故そういう事が生じるのかと考えさせられた。
解放同盟矢部支部の部落に伝わる「暮れ葬」、部落にはお坊さんが葬式に来てくれない時代があったのだと差別の厳しい現実と実態が語られた。前原支部のお母さんも一生懸命に質問をするのだが、その声に対しての答えがはっきりしない。こういう処は研究発表の場でしかないのだろうか。こういう形でしかあり得ないのだろうか・・・。
昨年の宮崎での第26回集会においても、解放同盟からは「宗教者は何年たっても変わらない」という厳しい指摘を受けたというのに。
更に思うことは、真宗の教えを永い間聞いてこられた初老からの「ご院家さん、法(特別措置法)もそろそろ切れる。さあ今からは真宗の話を聞かせてくれるのでしょうね。」という言葉に表現される様に「同和学習はこれで終わりました。これからは真宗をゆっくりと聞きましょう。」と解釈されるのではないか。
しかし、真宗の教えと解放運動同和学習が異質なものと受けとれる様な部落差別の学習を続けてきたのが、実は私自身であった事に改めて気づかされた。
原点に戻り差別に苦しむ人々の中に身を置き、その差別からの解放を自らの課題として歩まれた教区の二人の先輩方に敬意を表し、教えていただいた地道な歩みに帰らなければと考える。
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教区報『遇我遇仏』9号
日田組 緑芳寺 河野通成
【「名告り」の一視座】
『水平社宣言』における「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」ということは、どう考えればいいのだろう。「エタである事を誇り得る」とは、差別され続けてきた歴史を担った「なほ誇り得る人間の血は涸れずにあった」人間の「名告り」であるに違いない。そして、その「名告り」とは、単なる自己主張ではなく、人間であることを奪い続けることを紡ぎ出してきた「世間」全体を根本から告発し、問い返し、批判し尽くしていく名告りである。つまり「名告り」は、差別する側に向かって差別するな・差別してはいけないと呼びかけているのではない。名告りを聞く側の問題として、名告られた側は根本から差別し続ける人間の質・世のあり方を露呈せしめられるはたらきをもつのである。我々はその「名告り」を聞くところに共に人間になっていく道が開かれることを示唆しているといえよう。
しかし、ともすると、我々はその「名告り」に対して、全く違う反応を示す場合がある。例えば、自分より劣等であると認識した他者から、人間であることに対等だという態度を見せつけられたときの屈辱感を被害者感覚で受け止めようとする。ある意味で「名告り」は、人間を俯瞰する立場に立たせない、徹底して人間凝視の眼を持ち得ない私たちを、人間であることの悲しみにまで呼び戻そうとするはたらきをももつのであろう。
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教区報『遇我遇仏』10号
日田組 西岸寺 櫻木 証
防衛城で浦島太郎さんは大好きなゴルフを300回以上楽しませてもらい、また、料亭でおいしいものばかり食べさせてもらいました。太郎さんはあまり居心地がいいので、とうとう帰る場所を忘れてしまい防衛城に居座ってしまいました。太郎さんにはそろそろ帰ってもらいたいと思った乙姫様は太郎さんの知らないところで玉手箱を開けてしまいました。すると防衛城は国会に変わり、太郎さんは緑のリボンをつけ椅子に座ることになりました。質問に答える太郎さん。太郎さんは帰る場所を思い出していました。
さて、11月3日、4年前に始まった佐世保別院子ども報恩講を視察してきました。参加者全員で正信偈同朋唱和・講師のお話(子ども450人、スタッフ引率者50人)。人形劇2回上演(必見、住職・副住職さんが出演)。精進カレー500食(これがおいしい)。くすの木をロープとワイヤーで繋ぎ作った手作りアスレチック(たぶん想像できないと思います)。その他たくさんのブースが用意され、その中を子どもたちは目を輝かせ居心地の良い空間と時間を満喫していました。しかし、太郎さんのように帰る場所を忘れる子はいませんでした。
現在、四日市別院では子ども報恩講は行われていません。いつの日か四日市別院で子ども報恩講が行われることを願っています。帰る場所を忘れないためにも。
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教区報『遇我遇仏』11号
中津組善了寺 上条順子
今、コンビニの裏側では、賞味期限間近の食べ物がたくさん棄てられ続けている、とテレビで言っていた。期限切れのものは買いたくない。生産日をごまかしたり、やたら消費者を欺く事件が相次ぐし、食の安全はどこにいったのかって言いたい。けれど、世界中にどれほど多くの人達が飢えているのかなんて忘れて、この地球上に限られた資源しかないのに、こうして食べ物を棄てる社会に身を置いている。
独り暮らしの息子は、料理がろくにできなくても出来合いのものが売っているから大丈夫、とずいぶんコンビニにお世話になった。私は楽をしたが、知らずにそういうシステムに加担していたんだなあ・・・。便利な生活が当たり前になってしまって、地球温暖化をくい止めるために原始生活に戻れと言われたらどうしよう。洗濯機が故障して新しく買い換えたけど、スイッチ一つで何でも便利にこなせる機械に慣れて、家族中の洗い物を全部手で洗おうなんて気になれませんでした。
「困ったときがチャンスですー頭の良くなるチャンスですー」と、以前教育テレビで歌っていた。時々、忘れっぽくなった自分を励まして歌ってみるけど、逆にいうと自分にとって都合良くいってるときは要注意ということです。ありがたいものがありがたく思えなくなったら要注意です。
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教区報『遇我遇仏』12号
大分市組浄龍寺 手嶋暁史
第二期の教化特別研修の修了が近づきつつある。この制度に参加して二年間、新規、既存、中央、教区を問わず、様々な研修を受けてきた。私にとって、この二年間は研修生として過ごした二年間と同時に、自坊に戻り、法務を始めてからの二年間でもあった。そうであるから、受ける研修はすべてが目新しく、新鮮であり、特に宗祖七百五十回御遠忌に向けて、中央、教区共に様々な取り組みが行われていることを肌で感じることが出来た。
研修を受けたことはもちろんであるが、全国から集まる様々な僧侶、門徒とふれあうことが出来たということは、私にとって非常に大きな経験となった。皆それぞれ、目的も立場も生活環境も違う。下手をすると言葉まで違う。そのようなバラバラで、個別である人達が「念仏」というものを中心に集っていける。この有難さを感じた二年間であった。
今、御遠忌という解りやすい目標があるが故に、我々が何をより所として集っているのかを見失いがちであると思う。御遠忌が間近に迫った今だからこそ、一度立ち止まり、改めて自らを省み、我々が一体何をより所として歩むべきかを確かめる必要があると感じる。そして、そのことこそが結果的に御遠忌の成功につながっていくのでないだろうか。
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教区報『遇我遇仏』13号
玖珠組明嚴寺 麻生透
「国体」に反対?
Sさんは毎日ほぼ一人でデモを続けている。「もうやめちょくれ!大分国体」と手書きされたプラカードを掲げて大分市の繁華街を歩いている。「国体」に反対? なぜ? 国体出場を目標にして練習に励む選手も多いだろうから、そういう大会はあっても良いのでは?最初はそう思った。しかし、説明を聞いてみると、どうも単なるスポーツイベントではないようである。
「天皇讃美の全国キャンペーン」、「象徴天皇のパフォーマンスの舞台」であり「ナショナリズム昂揚の文化装置」として国家によって位置づけられてきた。Sさんは国体の本質をこう指摘する。言われてみれば、これまではあまり気にならなかったがどうして「天皇杯」と「皇后杯」なのだろうか。「国民栄誉賞」というのがあるのだから、「国民杯」で良いのでは。この行事は憲法でいうところの国事行為ではないという。では天皇の「私的行為」での出席なのだろうか。どうも合点がいかない。
何より施設や道路などの公共工事によって「税金の無駄遣い」がなされるという。借金をして作った割には使い勝手が悪く大会終了後に無用の長物となることが多いという。「過剰警備」にも当然、人件費が費やされる。天皇・皇后が通りそうなところには点検・整備がなされ、不審者が隠れそうなところは徹底的にチェックされる。
私が今まで考えたこともなかった問題提起をしてくれたSさんを応援したい。そう思うようになったのはSさんから伝わる雰囲気のおかげだろう。シュプレヒコールやプラカードには表されていないけれども、「大衆からは敬遠されたり、少数者にしか伝わらないような話でも、諦めずに語りかけ続ければ、きっと誰か一人くらいは解ってくれる。その一人と出会うために続けるのだ。」という行動理念のようなものを感じるからだ。今度プラカードを作って、デモ行進のお手伝いをしたいと思っている。
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教区報『遇我遇仏』14号
佐伯組大願寺住職 能仁徹也
先日、学生時代の友人の結婚式があった。数ヶ月ぶりの友人もいれば、数年ぶりの友人もいて思い出話と近況報告を肴に杯を酌み交わした。
そんな中 話題は自然に子どものことへと移り、それぞれの子どもの名前の由来に関心が集まった。夏に生まれたので夏の花に因んで陽葵(ひまり)、仏の慈悲と智慧から一字ずついただき成慈(せいじ)と智佳(ちか)、代々孫の名前は祖父がつけるのでおまかせをしたら、自坊の名前やら様々考慮して彰音(あきと)、親鸞聖人が敬慕した教信沙弥をいただき沙弥(さや)と恭真(きょうしん)。
時を同じくして親鸞聖人も名前をとても大事にされていたと伺う機会があった。綽空・善信・親鸞と使われていた時代は諸説あるようだが、付けられた名前には願いがあったに違いない。法然上人がお付けになられたのなら法然上人の親鸞聖人への願いがあり、ご自分で付けられたのならこれからどう歩みたいのか、何を大事に歩めばいいのかという願いが込められているのではないだろうか。
名前にはたくさんの願いがあり、その願いとともに歩んでいることを忘れがちである。私たち一人ひとりの名前が呼ばれる時、自分自身の歩みを問いかえされているのではないだろうか。そして仏の名を呼ぶことでその歩みが確かめられていくような気がする。
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