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「真宗の法事」教区報『遇我遇仏』創刊号
聞法会の始めには「三帰依文」を唱和いたします。仏法が伝えられていくとき、仏、法、僧の「三宝」に大切な意味があります。三宝供養と申して、仏教徒が最も尊重してきた世の宝であります。この三宝が、現実生活の中で具体的な形をとりますと、仏事、法事、僧事になります。
文字から伺いますと、「仏、法、僧の事」ですから、私たちが行っています朝夕のおつとめ、月命日のお経、そして一番大事な報恩講まで、すべてのおつとめは、「仏事」「法事」であるといえます。「僧伽」は(サンガ)といって、仏法に生きる人たちの集まりです。
一般には「法事」と言いますと、亡くなられた方の年忌をつとめることと考えられています。そして誰でも一度は「死者のために供養する」という気持ちが、心をよぎるのではないでしょうか。
確かに身近な亡き人、先祖へに追慕の心がないと法事はつとまりませんが、ただそこにとどまらないのが「真宗の法事」であります。
現代人は、科学技術の発展、高度な知識社会の中にあって、人間万能を自負していますが、「生ける者と死せる者」という関係は全く曖昧になっています。迷信といわれるものすべてはここから発生してきます。
また、法事の形態も便利で都合がよい方向に流されて、だんだんと変容しています。
人間が危ない、いのちが危ない、と叫ばれている今日、法事も危なくなりつつあるのが実情です。仏教は「死せる者と残れる者をどう受けとめる教えなのか」という一点が明らかになってこそ、真宗の法事は決定いたします。そこで何が語られ、何に気付かされ、何を願って生きるのか。このことを施主、僧侶、参詣者が共有できるとき、法事は、仏法に出遇う大事な行事として回復されると思います。
大分市組 光明寺住職 廣瀬 明信
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「年忌法要の意味」教区報『遇我遇仏』2号
亡くなられた人を偲び法要を営む習わしは古く、仏教通ずのしきたりとも呼べます。余宗では「追善供養」と言う意味合いを持つようですが、真宗では「師長の遺徳を偲ぶとともに仏恩に報いる」という意味合いの法要が覚如の時代から営まれていたことが知られています。宗祖の三十三回忌にお書きになった『報恩講私記』、翌年に著された『親鸞伝絵』がその典型だと言えます。存覚の『歎徳文』は親鸞没後98年に書かれそこに「年忌・月忌」のことばが見いだされます。
手を合わす機会が少なくなった時代。子や孫たちが一同に会する機会の少なくなった時代。それ故に、遠近より参集して亡き人の徳を偲ぶということがより大切な意味を持っているのだと思います。
50年ほど前までは、2日がかりで三部経をあげたという言い伝えもあります。時間をかけてお勤めをする中でお年寄りの知恵話や、故人の様々な思い出が語られ、いのちを繋ぐ法要が営まれていたのだと思います。
ゆったりしたリズムの生活が失われる中で、『昭和法要式』が定められました。『経』後に『正信偈』をみんなで読み、短いご法話を聞くというものです。法話の代わりに、折々心に残ったエッセイなどを読み聞かせてくれた、ある老住職の姿が懐かしく思い起こされます。
大分組 見城寺住職 日野詢城
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「彼岸に憶う」教区報『遇我遇仏』3号
『心の底から 笑みのもれる最後にしたい』
お彼岸の行事は、ずいぶん昔から日本人の間に行われ、とぎれることなく今日まで続いています。お彼岸になると、お寺に参り、あるいはお墓に詣る。これは習俗ですがずっと続いています。
彼岸という言葉は、元来、到彼岸波羅蜜(パラミータ)という言葉に由来します。また彼岸は、浄土(仏のさとりの世界)を意味します。広くいきわたり、習俗になっている彼岸行事を縁として、その本来の意味を確認することが大切です。
宗祖は『教行信証』の総序の冒頭で、彼岸の意味を「竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船」と、語っておられます。「生死の苦海を渡って、彼岸の浄土に到ることのできる大きな船、それが弥陀の本願である」と。
今日私たちは、「生まれ、生き、死ぬ」という人間の基本的な在り方に、心をとどめることはありません。人生にはさまざまな悩みはあるけれども、人生全体の目的、方向が定かでない、それが現代人は誰もがもっている課題ではないでしょうか。
冒頭の一句は、60才の半ばで命終された御門徒の方が生前に遺されたことばの一つです。奥様がお内仏の横にかけておられ、心に残りました。
彼岸を迎えるにあたり、心静かに彼岸の世界を憶う、そのことの大切さが思われてなりません。
田川組 因隆寺住職 高岡昌之
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「葬儀について」教区報『遇我遇仏』4号
近しい者の死は何にもまして悲しくつらい出来事です。だからこそ通夜、葬儀を単なる通過儀礼で終らせては、故人に申し訳ない気持ちがします。葬儀は亡き人との最後の別れをしみじみと為す場であり、また故人の生涯を偲び、ご苦労を思い、蒙ったご恩に対して心からお礼を申す知恩報徳の場です。それとともに大事なことは、それをご縁に私が本願の教えに出遇っていくことだと思います。
高度に文明が発達した現代、うっかりすると楽しくいつまでも快適に生きられるのが当たり前のように思いがちです。そういう日頃の心が打ち砕かれるのが、近しい者の死です。変わり果てた姿は、私もまた生老病死の身を生きる者であることを、身をもって教えてくださっています。
還骨勤行の時拝読するのが「白骨の御文」です。そこには、私共は誰も「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身」を生きている。遅かれ早かれ一人の例外なく、はかなく終る日が来る。だから「後生の一大事」を心にかけて阿弥陀仏の本願に出遇い、念仏申す者になりなさいと呼びかけています。
「後生の一大事」とは、一体私は何の為に生まれたのかと、人と生まれた私の生涯の意味を丸ごと問う言葉です。人間に生まれたのは極めて稀なこと。一度終ればもう再び返って来ることはない。にもかかわらず私の命の久遠の呼び声・阿弥陀仏の本願に出遇わずに終れば、何を経験したといっても結局空しく過ぎただけの人生で、これほど悲惨なことはない。だから「後生の一大事」を心にかけて、無始の昔から私を待ち続け呼び続ける阿弥陀仏の本願に出遇い、本願を真実の自己として生きる者になりなさいと呼びかけています。
悲しみを通してその本願の呼びかけ(南無阿弥陀仏の名号)に出遇う歩みが始まる時、生・死の別を超えて、これから故人と本当の意味で出遇っていく道が開かれるでしょう。私がその道を歩ませてもらうことが、故人のご恩に最も応える道だと思います。
大分組 心光寺住職 宮岳 文隆
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「帰依三宝」教区報『遇我遇仏』5号
わが身をいためて生まれてきた子の幸せを願わない親はいません。また、わが子の顔さえ忘れてしまっている認知症の親に“苦労させた”と、すまない思いを子はいだくのではないでしょうか。それが親子であるはずなのに、子が親を殺し、親がわが子を殺すという事件が相次いで起こっています。
「わたくしたちが、この現代社会のなかに一人の人間として生きてゆくうえで、仏教はなにを教えるのか、どこで仏教は現実の問題とむすびつくのか、それが、家族のしあわせをねがい、日夜、生活のために努力していられる方々の率直な疑問であろうか」(『現代の聖典』)と、四十四年前、私たちの宗門が推進をはじめた同朋会運動は、このように問題を提起しています。
この同朋会運動が始まって以来、お寺や組や教区の法座、そして帰敬式の場において、三帰依文が唱和され続けてきました。つまり同朋会運動という運動はどんな運動なのかといえば、それは三帰依文を唱和してきた運動であるといってもいいのだと思います。人間の業苦をあわれみたまいて本願の大海より名告り出でたもう“仏”、本願の大海である“法”、その法に帰入せんとする“僧伽”、この“三宝”に帰していく歩みこそが同朋会運動の帰結だと思います。
耶馬溪組 珀明寺住職 渋谷 圓
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「仏弟子」教区報『遇我遇仏』6号
春のお彼岸が過ぎたころのことだったと思う。ある女性が「ご院家さん、〇〇さんは毎日夕方、外縁に出て鐘の音を聞いているんですよ、手を合わせて」と教えてくれた。朝と夕方の6時に梵鐘を撞くことが生活習慣になっている私にとって、「そんな人がいたのか」と思いがけないことへの驚きと喜びの知らせであった。
毎日縁側に出て鐘の音を聞いているというその女性は昨年、脳梗塞で倒れて半年の入院、リハビリを続けてきた独居老人である。そして今度はその方のことを話してくれた女性が足を滑らせて転び骨折、今入院生活をおくっている。
「仏弟子」、それは遠い時代、釈尊の尊容にふれて、真実の世界に入ろうとした人々にはじまる。その釈尊は孤独と苦悩に生きる人々に「我が国に生まれよ」と呼びかける、弥陀大悲の世界があることを明らかにした。
以前から歩行が困難だったそれに追い打ちをかけて、脳梗塞の後遺症で会話が不自由なその女性が今、晩秋の夕闇に溶けこんで聞こえる鐘の音を聞いている。その姿が周りの人に静かな仏縁を開いている。聖教はそれを善知識と教える。そんな仏弟子が私の近くにおられる。
耶馬溪組 珀明寺住職 渋谷 圓
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「法名」教区報『遇我遇仏』7号
法名についての説明は諸教団によって異なっているようです。私たちの宗門では、法名は「戒名」とは違うこと。亡くなった人につける名前ではないこと。仏・法・僧の三宝に帰依したものに与えられる仏弟子の名であること。法名につけられる釈(尼)の文字は、釈尊の弟子になったことを意味すること、などと記されています。
ある法事の席で「この戒名にはどんな意味があるんですか」と聞かれました。質問されたわたしは、「真宗では戒名といわずに法名と言うのですよ」とか「釈(尼)の文字が付けられるのは、釈尊の弟子になったという意味があるのですよ」と説明しました。けれども、そんな説明をしながらわたしの中にはモヤモヤが残りました。これでは単なる説明にすぎないではないかという思いでした。
法名とは何か。それは阿弥陀の願いに生きようとするものの名のりだと思うのです。もし春に例えてそれをいえば、説明された春はいくら表現が巧みでも、春そのものではないでしょう。春は草木や大地にやってくるものである。咲き競う花のところに春は事実となっている。そのように法名は仏の願いに萌されて、その道を生きようとするものの名のりだということが本来の意味であると思うのです。
耶馬溪組 珀明寺住職 渋谷 圓
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「門徒」教区報『遇我遇仏』8号
私たちの思いをこえた深い因縁に結ばれて、寺と門徒との関係はある。その結縁が壊れてつきあいを失う場合もある。そうかと思うと、新たな出会いによって寺と門徒の関係ができる場合もある。「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる」という『歎異抄』の言葉のままである。
ところで、門徒という言葉は元々どのような意味をもつ言葉なのであろうか。親鸞聖人は吉水教団の法難のありさまを「真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す」(『教行信証』後序)と記している。また蓮如上人は「開山聖人のご門徒」(『御一代記聞書』294)「門徒同朋」(『御文』四帖目八通)などと言われている。宗祖の言葉から、門徒とは弾圧のさなか、念仏の道を選び取ったものという厳しい響きが伝わってくる。そしてその念仏の道に生きる人々を蓮如上人は「御門徒」と敬って呼ぶ。
われわれは我欲のままに日暮らししている。自らを傷つけ、他を傷つけ、空しさと不安と後悔の日々をおくっている。如来の願いがあることを知らずに生きている。そのわれわれに「共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし」と信ずべき道を宗祖は明らかにされた。門徒とは、真に帰すべき世界を見出した宗祖と共に生きる人々をさして言う言葉なのであろう。
耶馬溪組 珀明寺住職 渋谷 圓
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シリーズ お内仏を中心とした生活
「お内仏にお水は?」教区報『遇我遇仏』9号
「お内仏にお茶やお水はあげないのですか」と尋ねられることが時折あります。家の習慣でお茶やお水などを供えている家庭は多く見受けられます。古来から神仏に水を供える習慣があることに由来するのでしょうか。あるいは、お仏飯だけではなくお茶も、と思われてのことかもしれません。
「華瓶」という水壺のかたちをした仏具があります。樒を挿します。ほかの青木や青葉を挿すこともあります。青木を供えているようですが、華瓶は古くから水瓶です。そこには浄水が備えられています。挿された青々とした木の葉は浄水があることの徴であり証です。「青(セイ)」は「清(セイ)」に通じます。そこには仏さまの功徳の清らかさが表されています。お内仏は清浄真実なる本願をいただく場となります。
お内仏は飲食物を供え、給する場ではなく、仏の功徳のかたどりを丁寧に備え、わたしたちが本願をいただく場です。
田川組 正法寺住職 長野 量一
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シリーズ お内仏を中心とした生活
教区報『遇我遇仏』10号
子どもや孫たちから「お仏壇は何故あるの?」と問われたら「亡くなったおじいちゃんやご先祖様を祀ってあるんだよ」と答えているという話を座談会などでよく耳にする。日本人の宗教感覚として最もわかりやすく、誰でも納得できる説明である。
だが推進員となってお内仏のお荘厳のお話を聞くうちに真宗では亡き人を祀るだけのものではない事がわかって来た。その一方で真宗のご本尊が「アミダブツ」だという事、それも「ナムアミダブツ」だという事になると、なかなか他の人にはうまく話せない私である事に気付かされる。
如来と名告る「はたらき」が私の上にはたらいているという事にうなずくまでに随分長い年月がかかった。毎日の仕事の中や、夫婦の日暮しの中などで「あ、その事だったのか」とうなずき、自然に「ナムアミダブツ」の念仏が出だしたのはつい最近になっての事だった。
私はいつも仏法を聞くという事は教義を学ぶ事も大切だが、一番大切なのは毎日の暮しの中でふっと「如来のはたらき」にふれる事のできる感性を育てる事であると話している。
これからもお内仏と向かい合いながらいつも今の私を見つめ確かめる生活が出来ればいいな、と考えながらの毎日の日暮しである。
教区同朋の会 推進員連絡協議 会長 市江 康生
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シリーズ お内仏を中心とした生活
教区報『遇我遇仏』11号
今、時代社会の変化にともない、地域社会にもその大きなうねりを感じます。中でも核家族化の推移が門徒の次世代にも顕著となっており、真宗の宗風についてもその影響が現れつつあることをご門徒から聞くこともしばしばです。
さて、真宗門徒の家は他宗派と比較してみると仏壇(お内仏)の安置場所に異なった特徴があります。農家のように伝統的な家屋の造りは各部屋それぞれ田の字型に仕切られており、表側の一番良好な位置に床の間を供えた客間があります。真宗門徒の家ではその一番中心となる客間にお内仏が安置されているのが特徴です。他宗派の家については具に知るところではありませんが、真宗門徒のお仏間は個人的にひっそりと祈るような場所ではなく、縁ある人々と共に仏法聴聞の場として成り立っています。初めてご門徒の家を訪ねて不在であっても、仏間には迷うことなく入れます。ここに真宗門徒のお内仏を中心とした生活という宗風を見ることができます。
翻って教区では「ご縁のある人にご本尊を」というテーマを掲げて、核家族の状況でも次世代家族にお内仏のある生活を結んでいただくことを願いとして、手軽な形の「三折本尊」を手渡す運動が始まりました。ちなみに本尊の手渡しという慣習はかなり昔からあったことを聞いていますが、最もよく知られている所が島根県の例です。この地域では子どもたちが結婚して分家すると、親は仏壇(お内仏)を調達して手渡し、ご法義相続するとのことです。真宗門徒として生きる者の心意気と生活を具体的に感じさせる例です。
個々においてご本尊の手渡しが実現するかしないかは別にして、運動を展開することの中に多くの問題や課題が立体化してくることに意味を捉えたいと思います。
別府組玄昌寺 等岳文英
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シリーズ お内仏を中心とした生活
教区報『遇我遇仏』12号
日豊教区においては、教区教化テーマ「あなたと出あいたい、今、共に ―750年後の親鸞を語り合おう―」にもとづき、主題「宗祖と現代」、具体的課題として門徒には「お内仏を中心とした生活」という課題が見出され、「ご縁のある人にご本尊を」という取り組みを展開しております。
私達真宗門徒の家では、お内仏を安置してお給仕をし、正信偈のお勤めをしてきたという歴史があります。しかし、次世代を担う若者たちは進学・就職などで都会に流れ、それに少子化という問題も加わって、都市部では無宗教化が進み、仏様のご縁にあうということがきわめて困難な状況にあります。
また同時にあやしげな宗教の誘いが広がり、都会に暮らす人々は孤独と戸惑いの中で拠る術をもたないことが、迷いを深め問題を深刻にしているのではないでしょうか。
そのような時にこそ、故郷での生活が想い出され、家族と共にお勤めをしたお内仏の本尊が瞼に浮かぶようなご縁作りがなくてはなりません。
この「ご縁のある人にご本尊を」手渡していこうという運動は、真宗門徒の家から巣立っていった次世代の方々に念仏相続を促す大切な営みであります。そして宗祖御遠忌を機にして、是非とも帰敬式をすすめ、南無阿弥陀仏の御前に身を据えることが念仏者としての「しるし」であり、お内仏を中心とした生活が実践されることを念じてやみません。
3月27日「教区御遠忌お待ち受け法要」アピール(要旨)
佐伯組門徒会員 高司佐平
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−みんなでお勤め同朋唱和−
教区報『遇我遇仏』14号
先日、ご門徒さんからご法事のお願いがあり、その際「当日は一緒に正信偈のお勤めをしたいので勤行本を何冊か持って来て下さい。」との申し出がありました。「承知しました。」と言ったものの、本当に一緒にお勤め出来るのだろうか・・・という思いがありました。
ご法事の日、伽陀、表白、阿弥陀経を読み、正信偈の前にお参りされている皆さんに勤行本をお配りし、「よかったら一緒に読んで下さい」と伝えお勤めを始めると、私の後ろから正信偈を読む皆さんの声が聞こえてきました。私のお勤めに合わせ一所懸命に正信偈を読まれるご門徒さんに対し、私は何と失礼なことを思っていたのだろうと反省させられるご縁でありました。
ご門徒さんに対し、「どうせ正信偈など読めないだろう」と「どうせ」という言葉が私の中にあり、読めないと私自身が勝手に決めつけていたのです。私の勝手な思い込みで大切なことを切り捨て、ご門徒さんに声明の大切さを伝えていくという住職の役割を果していないことに気づかされました。
別府組の婦人会では昨年度から研修の中に声明の稽古が組み込まれており、講師をさせていただいておりますが、なかなか上手く伝わらず、人に教えることの難しさ、そして長い時間をかけて繰り返し繰り返し稽古することの大切さを痛感いたしております。
このような経験を通して今思いますことは「どうせ」と思う前に住職としての責任を今一度問う必要があるのではないか、ということです。住職は昔から脈々と受け継がれてきたことをご門徒さんに、また次世代に伝えていく大事な役目を担っているとあらためて思う日々であります。
別府組 大智寺住職 小野 豊徳
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