[経蔵]教区報『遇我遇仏』3号
別院境内の西南の隅に、三間四面の土蔵がひっそりと建っている。毎日、多くの人がその前を通りすぎていくのだが、春、桜に彩られる時をのぞけば、その建物に眼をとめる人は滅多にいない。
ところで、この土蔵は、経・律・論の三蔵を網羅した一切経(大蔵経)を納めている経蔵である。今もなお、昔ながらの大きな錠前で固く閉ざされており、あたかも、時の流れにさからいながら、永遠の真理を寂かに護っているかのごとき佇まいである。
この経蔵は、曇鸞大師と同じ時期(中国・南北朝時代)に活躍した傳大士の考案になる「転輪蔵」形式の経蔵である。
経蔵内には、土台から屋根裏に届く太い柱を軸にして回転する八角形の書架があり、そこに一切経が納められている。他宗では、この「輪蔵」を一回「転」させると、一切経を読んだと同じ功徳があると言われてきた。二千冊ちかい経典も、そっと押してみれば、今でも静かに回転する。しかし別院の記録を見ても、経蔵を開いて輪蔵を回転させた形跡はない。「専修念仏」をかかげる真宗は、それを「雑行、雑修」として退け、純粋な「経蔵」として護持してきたからであろうか。
ところで東別院の輪蔵は、八角形の書架の正面に「釈迦如来」の立像を安置し、残りの七面に、それぞれ五段の棚を設け、格段ごとに数十冊の経典を納めている。
また輪蔵の下部には、損傷の著しい塑像が取り巻いている。あるいは、仏法守護の天人である八部衆であったのであろうか。
本来なら経蔵にまつられるべき傳大士は、今では、山門の二階に釈迦三尊像と並んで安置されている。いつ、誰が、どんな理由で、山門にお連れしたのであろうか。
寛政十一(一七九九)年に経蔵が建てられてから、はや二百年。この間、経蔵は人間の織りなす様々な出来事を見て来たであろうし、これからの私たちの歩みを見続けて行くであろう。
経蔵の朽ちかけた土壁に春の光がさしている。
宇佐組 勝福寺住職 藤谷知道
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