宗祖としての親鸞聖人に遇う 延塚 知道

2006年06月01日

 私は長い間仏教が分からなかったために僧侶になるのがいやで、親鸞聖人に反抗し、どこまでもどこまでも仏教から逃げて回りました。そんな私をどこまでもどこまでも追いかけ続けて下さった方、それが宗祖です。仏教が分からなかった私は、情けないもので自分の中をどれだけ探しても、世間の価値しか持ち合わせがなかったのです。それに振り回され劣等感にさいなまれて、自分で自分を捨ててしまいたいときでも、黙って私を捨てないで見守り続けて下さった方、それが宗祖です。もう駄目だこんな人生とても生きていけないと放り出した時、そこで以前からずっとずっと待ち続けてくれていた方、それが宗祖親鸞聖人です。

 私が生まれたのは、英彦山の谷間にあった消防ポンプの倉庫でした。そこが父親の仏道の場所でした。農家の次男の父が大谷派の僧侶になったのですから、寺も御門徒もなかったからです。戦後すぐのことですからみんな貧しく、もちろん私の家は今日の米さえない有様でした。それを村の人たちが、自分の家に食べるものがないのに、私たちを育てて下さいました。質朴で人情に厚く、貧しかったけれどみんな輝くような念仏者ばかりでした。大きくなったら親鸞聖人のようなお坊さんになれと言って、私を育てて下さったおじいちゃんやおばあちゃんの優しさは、頂いた食べ物と一つになって私の身体の中にしみ込んでいます。今から想えば、如来の大悲が人情にまで成って私たちを育てて下さったのだと思います。

 でも青春期に人生を自分の足で歩き始めようとした時、私には世間の物差ししか持ち合わせがありませんでした。貧しいより豊かな方がいい、能力がないよりあった方がいい、消防ポンプの倉庫よりもっと大きな家がいいと、正直にそう思いました。仏教が分からないということは、そう思うだけならまだいいのですが、恐ろしいことにそれが絶対だと勘違いするのです。だから行き着くところは決まっています。自分の命を捨てても、思いを通そうとしたのです。

 先生はそんな私に、「延塚さん、良いところも悪いところも丸ごとあなた自身じゃないですか。自分自身を丸ごと愛せなければ、どうして周りの人を大切にできますか。」と優しく諭して下さいました。劣等感の固まりで自分さえ捨ててしまいたかった私には、私のようなものでも丸ごと受けとめてくれる世界があるのかと、その言葉だけでも全身が震えるほど嬉しかったのです。

 想えば長く自分の思いの世界だけで夢を見続けてきたことか。確かなのは自分だけ、いつもそこから人生を考え、いつもそこから周りを考え、世界を考えてきた。それは全て根拠のないことであり妄想である。事実に帰れ、無量寿に生きよと、そんな私の愚かさを永遠の昔から見破って、法の世界から南無阿弥陀仏と名告った下さっていたのです。親鸞聖人は南無阿弥陀仏となって今も現に生きておられます。私の小さな命の殻を破って、浄土からの無量寿を生きるものになろうと呼びかけて続けて下さっている方、それが私にとっての宗祖親鸞聖人です。

大谷大学教授 延塚 知道
教区報『遇我遇仏』4号