「あなたと出あいたい、今、共に」 小袋 雅文

2007年06月01日

 一昨年、長男の得度式で家族で上山した時の事でした。御影堂御修復の為、阿弥陀堂に安置されている親鸞聖人の御影をくい入る様に覗き込んでいた8歳になる娘が「親鸞さんの顔、ようわからん。真っ黒やねー、黒人じゃないよね?」と聞いていました。私は思わず吹き出しそうになったのを堪えて「あれはね、木像だから長い年月が経って黒くなったんだよ」と答えたことがありました。

 しかし今回(4月)、組での奉仕団上山の時、お聞かせいただいた言葉で、その時の私の答えがいかに軽いものであったか知らされ、叱責された思いでした。

 「なぜ御影はあんなに黒いのですか?とよく聞かれます。その時は真っ黒になるまで働いて下さっているんです。それほどご苦労されているんですよとお答えします」と。

大慈救世聖徳皇
父のごとくにおわします
大悲救世観世音
母のごとくにおわします  『正像末和讃』

わたしゃ忘れても
忘れぬ親がおるゆえに
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ  浅原才市

 立撮即行のお心でここにおいで下さった。
 私がここに会いに来ようが来まいが関係なしに、750年前の昔より私の為に働き続けて下さっている方がおられる。願い続けて下さった親鸞様がおられる。

 「ご苦労おかけ致します」

 「あなたと出あいたい、今、共に」・・・聖人からのお呼びかけのように、私には聞こえます。

 「方向性」という言葉を最近よく耳にします。「日本はどこへ向かうのか」「私はどこへ向かうのか」現代社会を生きる私達は様々な諸問題を抱えながらも、その問題のもつ意味さえ見えにくく、覆い隠されてしまっているように思えてなりません。

 「どう選択し、どう歩み出せばよいのか」

 御遠忌はお迎えするものであり、また「真をよりどころとしてすすめ」と呼びかけ続けて下さっている声に、私の方から応え出迎えることでもあると思います。

「帰る所」
帰る所があるので
待っていてくださるので
安心して
遊んでいられる    浅田昌作

築上組 西教寺住職 小袋雅文
教区報『遇我遇仏』8号