「宗祖と現代」 吉元 信行

2008年12月01日

いろはうたと仏教

 私たちが子どもの頃、最初に覚えて、今でもはっきりと諳んじることのできる「うた」に“いろはうた”がある。「いろはにほへと・・・・・」云々の47文字は、一つとて同じ文字はなく、成立当時に使われていたすべてのかな文字を網羅している。私たちはこの“うた”を小学生の頃から自然に習い、今でもはっきりと覚えている(最近は中学でしか教えないという)。

 “いろはうた”を記した現存最古の文書は、1079年に書写された『金光明最勝王経音義』であるから、この年代よりやや古い頃の成立であると思われる。私たちの先祖たちは、このような古い時代からこの“うた”に慣れ親しんできたのである。しかし、これに濁点をつけて、次のような意味のある「うた」であることを意識して諳んじている人は意外と少ないのではなかろうか。

  色は匂へど 散りぬるを

  我が世誰そ 常ならむ

  有為の奥山 今日越えて

  浅き夢みじ 酔ひもせず

 花が色あざやかに咲き、いい匂いを放つけれども、いずれ散ってしまうように、私たちの世界や人生で一体誰が常住であるでしょうか。[そのことに気付き]煩悩にまみれた世界(有為)の奥山を今日越えて(超越して)、浅い夢など見ないように[涅槃の世界に行きましょう]、酔ってもいないのだから。

 このような解釈ができるのは、古来、“無常偈(雪山偈)”として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(巻一三)の意味を採ったものであるからである。すなわち、この“無常偈”と“いろはうた”の句を対応させると次のようになる。

 諸行無常 色は匂へど 散りぬるを

 是生滅法 我が世誰そ 常ならむ

 生滅滅已 有為の奥山 今日越えて

 寂滅為楽 浅き夢みじ 酔ひもせず

 “無常偈”は、あらゆる存在・現象は無常であり、この世は移り変わるのが当然である。この移り変わりの世界を滅してしまった寂滅の境地こそが楽(涅槃)であるということを教えている。この偈は、仏教の根本思想を四句にまとめたものである。この漢文の難しい教義を日本人に親しめるやさしい「かな」によって表現したのが“いろはうた”であるとされる。

 親鸞聖人は、恩愛にむせび輪廻にさいなまれているこの世は当然「諸行無常、是生滅法」の世界ではあるが、このことに私たちがそうは簡単に頷けない凡夫であることを悲歎され、次のように述懐して、ただひたすらに念仏することこそが、すくい(度脱=寂滅・涅槃)への道であることを示してくださっている。

 恩愛はなはだたちがたく

    生死はなはだつきがたし

 念仏三昧行じてぞ

    罪障を滅し度脱せし

  (高僧和讃『真宗聖典』四九〇頁)

中津組 大日寺住職 吉元 信行
教区報『遇我遇仏』14号