真宗の本尊について 上条 順子

2012年09月01日

 負けたらくやしくて寝られないが、我が通って勝っても寂しい気分。自分がよいと思ってしたことが誤解されてがっくり。死にたくないからなんとなく生きてるけど、生きててもあまりいいことなさそう。ああ空しい。

 こういうことが厭離穢土ということでしょう。

 天災でかろうじて生き延びた人々が「亡くなった人の分まで精いっぱい生きたい」と言われた。私は今精いっぱい生きているのか。そして何を一番求めているのか。

 いじめの問題はもう何十年も取り沙汰されてきた。大人が目覚めないから子も右へならえ、だ。没個性、平均化を求める社会。変わったことをする者をすぐ標的にする。「相手が傷つくだろう、自分もこんなことをされたらいやだ」という想像力がないのか、他人から受けた優しさとか暖かい手助けなどに全く気づいてこなかったのか。「私たちはつながって生きている」のに。一番大事なものを見失っているのが「いじめ」です。

 ある時、子どもが「これはテレビで言ってるから本当や。」と言うんですね。

 自社に不利なコマーシャルする?なのにみんな信じちゃう。私たちは汚れた色めがねで見ているんです。コマーシャルに踊らされて「自分で考える」ことがなくなってきている。つながって生きているということを知るためには、何かにぶつかって自分で考えること、あるいは何かがぶつかってきて考えさせられること。ちっぽけだけどかけがえのない一人一人がかけがえのない人生を生き、生かされているんだと知らされること。

 何の目印もない砂漠をただひたすら前に進むと、利き腕の方に大きく弧を描いて曲がってしまい、見当違いの方向に行ってしまうらしい。夜になって星が輝いて位置を教えてくれても、自分が正しいと思いこんでいると星を見ようとしないから、ついに目的地に辿り着けない。ところが、自分が間違っているかもしれないと思えば、間違いに気づいて歩み直すことができる。そしてゆがみない真実に出会った時、力強い一歩が踏み出せる。

 現代は飽食の時代と言われる。足りすぎて自分の思いが通ってきたのが当たり前になり、何か不都合があると他人のせいにして問題から逃げてしまう人が増えている気がする。けれども今の自分を引き受けるのは自分しかいない。

 自分自身にとって一番大切なもの、あるいは子や孫に一番望むことはそれぞれの生を精いっぱい生きて欲しいということです。一生のあいだにいろいろなことが押し寄せてくるに違いない。それをくよくよするのでなく自分が責任をもって背負う覚悟をもってほしい。しかもたった一人でなく、みんなでつながって引き受けるのです。

 ご本尊はこの凡夫の私を照らし、穢土が嫌なら浄土を求めよ、そうして真実に目覚め、力強く明るい一歩を踏み出して欲しいという、私への願い、悲願そのものです。

 その悲願に導かれ真実に出会えば、明るく平らで広い世界に生まれることが出来るのです。

中津組 善了寺 上条 順子
教区報『遇我遇仏』27号