田川組 西岸寺住職 中西忍

2007年06月01日

田川組 西岸寺住職 中西忍
●5/8?10 部落解放第27回全九州研究集会に参加して

 心にひびくものを感じられないまま第2日目「宗教分科会」の時間が過ぎてしまった。理路整然と語る宗教者、素朴な質問をする被差別民衆とのかみ合わないスレ違い。何故そういう事が生じるのかと考えさせられた。

 解放同盟矢部支部の部落に伝わる「暮れ葬」、部落にはお坊さんが葬式に来てくれない時代があったのだと差別の厳しい現実と実態が語られた。前原支部のお母さんも一生懸命に質問をするのだが、その声に対しての答えがはっきりしない。こういう処は研究発表の場でしかないのだろうか。こういう形でしかあり得ないのだろうか・・・。

 昨年の宮崎での第26回集会においても、解放同盟からは「宗教者は何年たっても変わらない」という厳しい指摘を受けたというのに。

 更に思うことは、真宗の教えを永い間聞いてこられた初老からの「ご院家さん、法(特別措置法)もそろそろ切れる。さあ今からは真宗の話を聞かせてくれるのでしょうね。」という言葉に表現される様に「同和学習はこれで終わりました。これからは真宗をゆっくりと聞きましょう。」と解釈されるのではないか。

 しかし、真宗の教えと解放運動同和学習が異質なものと受けとれる様な部落差別の学習を続けてきたのが、実は私自身であった事に改めて気づかされた。

 原点に戻り差別に苦しむ人々の中に身を置き、その差別からの解放を自らの課題として歩まれた教区の二人の先輩方に敬意を表し、教えていただいた地道な歩みに帰らなければと考える。