みんなでお勤め同朋唱和 2

2009年03月01日

 私は、二人で一緒にお経を読む時ほど、緊張感をもってするお勤めはない。それは、音のずれや、節譜の扱いの違いによる二人の不調和が最も顕著に表れるからである。まさに、読み方に対する自分の未熟さを露呈する時でもある。

 その読法について、経験を積むほどによく言われるのが、「お経の読み方に味わいがある」ということである。それは、読み慣れか らくる個人独特の節回しである。しかし、その基本には正式な読法を身につけていればこそであって、基本も曖昧なままに「味わいがある」と言われる読み方 は、自分が読み易く読む自己流と言われても仕方がない。まして、一緒にお勤めをするとなれば、調和するのは難しいだろう。

 考えてみるに、毎日の法務においてお寺の者同士が一緒になってお勤めをする機会もまた少ないのかもしれない。そういう意味では、私のいる組内では、各寺院の報恩講にはお参り合いをする習慣があって、その度に一緒にお勤めをさせていただく。

 先日組内の報恩講にお参りに行った時のことである。その法中の多さにも驚いたが、お勤めが始まると、その声が高らかに本堂内に 響き渡った。その声明は、まるで一つの声にまとまったごとく奏でられたのである。後から聞くと、門徒の方々は大変感動したとのこと。それは、まさに僧侶 各々の仏徳讃嘆の声が一つの声明という形となって、門徒の皆様に届いたからであろう。

 今、宗門では親鸞聖人の御遠忌に向けて「同朋唱和推進事業」が展開されている。それは僧侶だけでなく、門徒の皆様と共に聖人の 御恩徳の奉讃を申し上げようということと同時に、真宗の仏事の回復の一つの機縁に他ならない。それは、日頃より自己流になりがちな私たちの姿勢を見つめ直 すことであり、またそうでなければ、門徒の皆様との同朋唱和のお勤めも一つに奏でられることなどできないと思う。

大分市組 善巧寺 大友 和彦

教区報『遇我遇仏』15号