ある坊守のつぶやき 大神眞理子

2013年09月01日

呼ばれる坊守から名乗りとしての坊守への道

 「坊守さんになる人として私たちの寺においでください。」・・・私を迎えに来てくださった総代さん達の言葉でした。一般の結婚なら「お嫁さんにください」というところだろう。私の「坊守」という言葉との最初の出会いである。
 「坊守」は住職の配偶者の呼称であり、住職と共に教法を聞信し、寺を守り盛り立てることが勤めだと教えられた。真宗での最初の坊守は恵信尼様であり、法然上人が「良き坊守である」とお呼びになったと聞かされた。字句から言えば坊(寺)を守るということだから住職のことになろうが、他宗で言う「寺庭婦人」をわざわざ坊のお守りということにはおそらく深い意味があるのだろう。いろいろな解釈があるのだろうが、私にとって「これが坊守である。」という世界には まだ達していない。
 ただ、真宗の寺にご縁が出来たことで、悩み多き我が人生に「聞法せよ」と様々な出会いを通して教えを頂いた。人生の問題に行き詰まる、人生そのものに行き詰まるという二つの行き詰まりを教えていただいた。
 坊守とは?という問いは「他から見られる坊守」をまずは探していく歩みであったと思う。もちろんそれも大事なこと。坊守にもいろいろあっても良いとも聞いた。
 今の私は寺を守るという課題とともにに自分の人生の課題に精一杯の状態である。
 内外の問題に右往左往している坊守から、門徒の皆さんに「坊守さん」と親しく声をかけられる普通の坊守へ、やがて昔のお年寄りが呼んでいた「坊守さま」の世界へと方向だけは見えてきたけれど、「はて 行き着けるだろうか?」と、遠い遠い道のりを感じている。

日田組 長善寺 坊守 大神眞理子
教区報『遇我遇仏』31号