真宗の本尊 林 正道

2014年03月01日

 私には、法然上人800回、親鸞聖人750回御遠忌に向けた前進座の特別公演『法然と親鸞』で、今も深い感動をもって思い出す場面がある。平家が滅び、鎌倉幕府がつくられる中、兵乱・災害・疫病が止まらず、巷にあふれる遺骸…。法然は、弟子らと一緒に加茂の河原で難民に粥を施しながら、人々と語りあう。時が移り、越後に流罪になった親鸞は、愚禿と名乗りながら、氾濫を繰り返す荒川の普請に村人たちと一緒に汗を流す…。これが、『真宗の本尊』のひとつの象徴的な姿ではなかろうか、と私は思う。

 私が大谷大学在学中の1960年代後半は、いわゆる〝大学紛争〟が燃え上がり、アメリカのベトナム侵略戦争や靖国神社国家護持法案に反対する運動が全国津々浦々に広がっていた。そんな中、私は父に、「いのちを最も大事にする仏教者が、なぜ戦争に協力したのか」を問い質した。父は、「気がついたら、そうなっていた…」と。

 私は、親鸞聖人のように、最底辺で悩み、生き、暮らしている人たちと一緒に、誰もが平等に救われる社会をつくりたいと、全日自労(全日本自由労働組合)の本部に入り、失業対策事業で働く仲間とともに、〝失業と貧乏と戦争をなくそう〟と30数年間たたかってきた。これは、仏法の第1の願「この国から、地獄(戦争)、餓鬼(貧困)、畜生(恐怖)をなくしたい」とも重なりあっていると思っている。

 東日本大震災と福島第1原発の事故から3年目を迎える。

 2011年夏、湯布院の見成寺(日野詢城住職)に、福島から30数人の親子が保養にきて、伸び伸びと楽しく過ごした。帰りの船の中で、「また、放射能を心配しながら暮らさなければならないのか…」と母親が泣き出した。九州に避難・移住したい家族を支援しようと、『放射能から子どもを守る会・日豊(福岡・大分)』を立ち上げ、これまでに百数十人が移住したり、保養に来た。

 2012年夏にも30数人が保養に来たが、帰りには「おやつも、放射能を心配しながら作っている…」と聞いて、勝福寺(藤谷知道住職)を中心に『福島の人々に大分の農産物を送る会』をつくって、農家などから提供された野菜や果物を毎月おくり、すでに200箱近くになっている。送り先の子どもたちや住職から、いつもお礼の便りが届く。悩み苦しんでいる人たちに寄りそいながら、自分たちに何ができるのか、が問われているのではなかろうか。

 1995年の真宗大谷派の『不戦決議』は最後に、「私たちは、民族・言語・文化・宗教の違いを超えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすること」を誓っている。今日、特定秘密保護法が強行され、安倍首相が靖国神社に参拝し、憲法9条をも改悪して、ひたすら〝海外で戦争できる国〟に突き進もうとしている。

 私も、日本宗教者平和協議会の〝内なる心の平和と外なる世界の平和を〟〝平和の祈りを行動の波へ〟のスローガンの下、〝殺すなかれ 兵戈無用 南無阿弥陀仏〟のノボリ旗を掲げて、仏教・キリスト教・神道・新宗教の人たちと一緒に、3・1ビキニデーや核兵器の廃絶をめざす網の目平和行進、『いのちをえらびとる断食の祈り』、原発ゼロ、宗教者9条の会などの運動に積極的に参加している。

 「おじいちゃんは、あの時、何をしていたの…」と問われた時、「気がついたら、そうなっていた…」と答えることだけはしたくない…と。

宇佐組 安養寺 林 正道
教区報『遇我遇仏』33号