ある坊守のつぶやき 髙山 蘭子

2015年01月22日

 報恩講を控えた11月中旬、自坊でのお磨きがあった。お盆前のお磨きより仏具の数も多く、朝から20人ほどのご門徒さん方が集まって下さる。軍手をはめて仏具に薬剤をつけ、お一人お一人力を込めて磨いて頂く。細かい彫りのあるものは主に女性が磨き、仕上げ磨きは力の強い男性にお願いする。顔ぶれはほぼ決まっているとはいえ、年に2回を繰り返すうちに来られなくなる方もいれば、新しく加わる方もいるといった具合で、入れ替わりながらも人数はほぼ変わることなく続いている。

 10時の休憩を挟んで昼までにきれいに磨き上がると、お内仏でお昼を差し上げる。前坊守と2人で準備する簡単なお昼だが、この日の為にと頂いた野菜や、煮物や漬け物の差し入れが毎回必ずあり、賑やかな食事となる。大皿や鉢につぎ分けたおかずをまわし、お華束つきや世話前のことを話しながら箸を進める。本当に有難く、幸せなひとときである。

 独身の頃、寺の行事は生活の中の一景であった。結婚して子どもが小さいうちは時間に追われ、大事なことだと思っていても行事を一つずつ勤めることで精一杯だった。今もその生活に大差はないのであるが、行事が連綿と続けられていくことの有り難さ、文字通り当たり前ではないのだということをいくらかでも主体的に考えるようになった。私自身行事を通してずっとお育てにあってきたのだ。

 ご門徒さん方の力によってお磨きや華立て、お華束つきなどの準備を重ねることで本堂が荘厳され、報恩講をお迎えすることができる。行事のひとつひとつには深い意味と歴史があり、それを経ることでお育てにあい、また次の世代へと相続していく。そのことの大切さと難しさを過日のお磨きを通して改めて思った。

日田組 西光寺坊守 髙山 蘭子
『遇我遇仏』36号