ある坊守のつぶやき 星野 真由美

2015年03月01日

 在家から嫁いでくる前の私は、迷信・げんかつぎなどを何の疑いも持たずに当たり前のことだと思い込み過ごしていた。お寺に入り日々お話を聞いていく中で、迷信だったのだ、と気づかされ、気にしなくていいんだと心が軽くなる感じであり、とても素直に受け入れることができた。

 先日、大学受験を控えた娘の受験料を振込みに行った時、行員さんから「頑張ってください」の言葉と「子供さんに」と合格祈願の鉛筆を頂いた。思いがけない事だったのでびっくりしたのと同時に思わず「ありがとうございます」と受け取っていた。お守りで合格はしないと思いつつも、「必要ありません」とは言えなかった。やはり気遣いは嬉しいものだ。

 私と違いお寺で生まれ育った娘は、同級生の殆どが大宰府におまいりに行く中で自分は行かず、昔から「大丈夫?」と心配されたそうだ。「何でみんな行くんかねぇ、それで合格できるわけやなかろうに」と、あっけらかんとしたものだった。そんな娘もいつの間にか鞄にお守りをつけていた。不思議に思い理由を聞くと、「だってせっかくくれたんやもん。わざわざ買いに行ってくれたんばい」との返事。教えてきた訳ではないが、迷信には惑わされず、しかし他人からの思いやりの心はきちんと受け取るということが自然とできているのだなと感心させられた。お寺で育てられるということはこういうことなのかなと感じさせられる出来事であった。

田川組專福寺 星野 真由美
『遇我遇仏』37号