広報企画

会長 手嶋 暁史
副会長
委員数 4
任期 2014.06.01~2017.05.31

会議

編集会議

事業

教区報「遇我遇仏」発行

教区内寺院・組門徒会・推進員・組婦人会長を対象に、教区報『遇我遇仏』を年4回発行。

今日の言葉 教区報『遇我遇仏』巻頭言より

コラム 教区報『遇我遇仏』コラムより

 

教化資料作成

 

教区ホームページの充実

このホームページは、「本格ビジネスサイトを作りながら学ぶWordPressの教科書2」を見て作成しています。

作成ソフト WordPress(ワードプレス)・Dreamweaver( ドリームウィーバー)

デバイス切り替えプラグイン WP SiteManager

ドメイン登録 VALUE-DOMAIN.COM(バリュードメイン)

レンタルサーバー CORESERVER.JP(コアサーバー)

 

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教区報の名前

『遇我遇仏(ぐうがぐうぶつ)』は下記の金子大榮師の言葉より名付けました。

「信ずるとは遇うことである。我れに遇い仏に遇う。」金子大榮

「こんな人とは思わなかった」とは、喧嘩のときよく口をついて出る言葉です。思いがけないことを言われたり、されたりすると、相手を責めてこのように言ってしまうのが常です。

けれどもそれは、すぐに崩れてしまうような根拠のない期待や信頼を、自分の方がしていたということだったのではないでしょうか。

そのようなあやふやな期待や信頼の上にたって生活が営まれていく限り、生きていくことは失望と孤独の連続以外のなにものでもないでしょう。

そして、宗教における信仰ということも、そのような根拠のない期待や信頼の上に立ってなされていくのであるのならば、これもまた極めて不確かなものであるといわざるを得ないのではないでしょうか。

信仰とは普通、神や仏といったある対象に向けて自分の心を固めていくことをいいます。だからそのような信仰においては熱心であるとか熱心でないとかという、人の心の状態があれこれと問題にされます。

け れども熱心であろうがなかろうが、それはどこまでも期待や信頼といった自分の思いを固めていくということでしかありません。しかし、どれほど思いを固 めようとも、現実は自分の期待どおりには変わってはくれません。だから、思いによる信仰において人間は、淡い期待と深い失望の間を行ったり来たりせざるを 得ないでしょう。

仏教は、人間の思いがどれほど当てにならないものかを教えています。当てにならないことを当てにして止まない人間の深い闇が破られてゆくとき、そこに自分の思いを超えて初めて自己に遇うということがあるのです。

そしてそこに、闇を照らす智慧の光の仏に遇うということがあるのです。
信ずるとは遇うことである。我れに遇い仏に遇う。その所に宗教の信が成立する。遇うことなるがゆえに、信ははなはだ希である。されどまた遇うことなるがゆえに、宗教は万人の前に開かれている。
『宗教的理性』

思いどおりにはゆかない現実の前で、失意の中にうずくまるのか。それともそこで自己に出遇い仏に出遇ってゆくのか。道はいつも足下にあるのではないでしょうか。

『きょうのことば』大谷大学伝道掲示板より