別院案内

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別院御修復日記

別院案内

宗 旨 浄土真宗(じょうどしんしゅう)
本 尊 阿弥陀如来(あみだにょらい)
正依の経典 仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)
宗 祖 親鸞聖人(しんらんしょうにん)
宗 派 真宗大谷派(しんしゅうおおたには)
本 山 真宗本廟(東本願寺)(しんしゅうほんびょう)

四日市別院のおこり

1562(永禄5)年、宇佐の豪族・渡辺統綱(むねつな)は、本願寺ll世顕如上人の弟子となり、法名を専養と名のり宇佐郡山本村に「専養庵」を開いた。

1578(天正6)年、統綱の子 統述(むねのぶ)は、教如上人の弟子となり「真勝寺」の寺号を受けた。

後に、戦国の動乱の中で真勝寺は焼失。統述は戦火を逃れて豊前豊後を転々としながら、再び宇佐の地にもどり真勝寺を再建した。

その後、1674(延宝2)年、真勝寺は現在の地に移転建立されたが、1743(寛保3)年、住職の不行跡の騒動に裁断が下り、寺跡・敷地すべて公儀に没収された。

翌年(1744・延亨元年)、真勝寺寺跡・敷地ともに東本願寺へ御下付。真勝寺は「本山掛所御坊」となり、”九州御坊”と称し、全九州の716ヵ寺を統括した歴史をもつ。

現在は、真宗大谷派日豊教区(福岡県東部及び大分県全域)の別院としてご崇敬されている。

諸殿拝観

[本堂] 延享元(一七四四)年真勝寺騒動の結果、幕府はいったん真勝寺を召し上げた後、東本願寺に下げ渡した。これが四日市別院の起こりである。続きを読む

念仏のあゆみと九州御坊

[阿弥陀信仰の足跡]平安時代(12世紀)に作られた高田の富貴寺は豊の国の代表的な阿弥陀信仰を伝えている。続きを読む

奉仕研修

(1)別院奉仕研修には、「一日奉仕研修」と「一泊奉仕研修」があります。続きを読む